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“下北沢で答え合わせ”しちゃってないか?──柄本時生 × 岩男海史|生まれ育った街の多層的な魅力

俳優・柄本明と角替和枝の間に生まれ下北沢で育ち、自身も俳優として活躍する柄本時生さん(以下、時生)。同じく下北沢出身、山本寛斎のもとでパリコレデザイナーとして活躍していたことでも知られる岩男將史と牧野iwao純子を両親に持ち、俳優と服飾家という二足の草鞋で活動する岩男海史さん(以下、海史)。

時生さんは、海史さんが立ち上げた下北沢を拠点にするブランド「MONSTROUSA」でモデルを務めており、公私ともに仲が良いという。今回、そんなお二人による下北沢をテーマにした対談が実現。近年、再開発が進みさまざまな新しいベニューや店舗が誕生している街の魅力について、地元民ならではの角度から語ってもらった。2周年を迎えた「東京都実験区下北沢」が送るスペシャル対談。忖度なしの本音トークをお楽しみください。

「下北の人間のくせに下北らしい服着てんじゃねえよって言いました(笑)」(時生)

(L→R)岩男海史、柄本時生

—まずはお二人が出会った頃の話から、聞かせていただけますか?

時生:初めて話したのは舞台『泣くロミオと怒るジュリエット』(2020年)で共演した時ですね。海史くんが「僕ら同じ小学校なんです」って、話しかけてくれたんです。

海史:時生さんは僕の二つ年上で、応援団長をやってたんです。「カッコいいな」って、羨望のまなざしで見ていました。

時生:あれは、誰もやりたい人がいなくて「じゃあお前がやれ」って半ば無理やり。年下の人から見たらそういうふうに映っていたと知ってビックリしました(笑)。でも、いつのまにか仲良くなってましたね。

—時生さんから見た海史さんの第一印象は?

時生:奇抜な格好をしてたので、「お前、下北の人間のくせに下北らしい服着てんじゃねえよ」って思ったし言いました(笑)。地元の人間って、意外とそういうステレオタイプな感じは出さないじゃないですか。

海史:僕は僕で「いやいや、下北で育ったんだからいいじゃないですか」って言いましたね(笑)。でも、そんなふうに時生さんがフランクに接してくれたおかげで、大所帯の舞台だったけど、大先輩のみなさんにもよくしてもらえたので、ほんとうに感謝してます。

—そして、時生さんは海史さんの服装に文句を言っていたのに、今や海史さんのプロデュースするブランド「MONSTROUSA」でモデルを務められていると(笑)。

時生:ほんとですね(笑)。僕はアパレルの仕事ってほとんどしたことがなくて、唯一「PHINGERIN」だけ長いことLOOKのモデルをやらせてもらっているくらいなんです。もっとやってみたい気持ちはあったところに、オファーをもらったのでぜひと受けましたね。

—そして時生さんに参加してもらった結果、どうでしたか?

海史:もう素晴らしすぎて……。個人的には“モデル・柄本時生”の存在が世間にバレてくれるな!と思ってしまったくらいです。俳優としていろんな技を持っていることは多くの人が知るところだと思うんですけど、パブリックイメージは三枚目というか、個性的なキャラクターが強いような気がします。でも、ストレートな二枚目としてのカッコよさも圧倒的で、時生さんだけのクールさがある。ビジュアルを僕の事務所の皆さんに見てもらった時に「時生の魅力を引き出せてるよね」と言っていただいて嬉しかったですね。もちろん可愛さとか三枚目も出せるし、‟突然変異”という意味もあるブランド名ともぴったりだし最強ですよ。

2024年春夏コレクションでもさとうほなみ らとともにモデルを務めた。オリジナルコレクションのテーマは”VITALITY”。

—そもそも海史さんはなぜ「MONSTROUSA」を立ち上げたのですか?

海史:例えば絵の得意な有名人がいたとして、その人の作品を既成のボディにプリントしただけで売れる、みたいなことが往々にしてあるじゃないですか。それはそれでいいのかもしれない。でも俳優ともうひとつ衣裳屋という職業をしている自分にとっては、“有名人が作って簡単に売れる服”に対してどこか悔しい気持ちがあったんです。

—反骨精神も大きかったんですね。

海史:とはいえ、“有名人でない自分”に対しても弱腰になっていた時期もありました。そういう文脈も含めて‟突然変異”の意味もある「MONSTROUSA」というブランド名にしました。そして自分の地元、下北沢発ということに対するこだわりもある。そう考えたときに、真っ先に浮かんだモデルが時生さんで、ダメ元でお願いしたら引き受けてくださいました。

—時生さんは、「MONSTROSA」についてどう感じていますか?

時生:海史くんにはデザイナーのご両親がいて、その二人の影響もあって舞台衣裳家もやっている。その色濃い背景が服にも出ていると思うんです。生まれた頃からファッションというカルチャーに触れているから、彼自身と出来上がった洋服との親密度が高い気がします。そして、それらの洋服を見て、「なんか知ってるぞこれ」とは思わない。「あれ? こんな服知らないな」って、新しいカッコよさに出会えたようなオリジナリティを感じますね。

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—今おっしゃったことは、時生さんにも言えることだと思うのですが、ご自身の出自が俳優としての実力的なアドバンテージになっていると思いますか?

時生:どうなんですかね。自分で自分のことはわからないんですけど、大鶴佐助(俳優、劇団ヒトハダ座長)と出会ったときにそれを感じました。台詞を発した瞬間に「レベルが違うな」って。なぜそうなのか考えると、彼の父である唐十郎さんの存在が大きいんじゃないかと。唐十郎さんは新宿の花園神社に紅テントを建て、演劇とともに生きてきた俳優で、佐助はそんな父親と生活をともにしていたから、‟劇場の声”を知っちゃってるんだろうなと、思いました。

—“知っている”ではなく‟知っちゃっている“なんですね。

時生:将来的に俳優をやりたいとかやりたくないという話ではなく、そういう環境の中での生き物みたいな。で、僕も佐助に対して思ったことと似たようなことをたまに言われますね。実際に、学校が終わったら父のいる下北の本多劇場やスズナリに‟行く“というより‟帰る”という感覚でしたから、そうなのかもしれないですね。

「‟♯下北沢”がほしいだけじゃないか?」(海史)

—お二人それぞれの家庭環境や下北沢との関りがある。そして、「MONSTROSA」からは、演劇や古着、音楽といったカルチャーが豊かな下北沢の縮図プラスアルファの魅力を感じます。ここからは、そんなお二人から見た下北沢という街について、話を聞かせてください。

海史:下北沢で「MONSTROSA」のビジュアル撮影をしたんですけど、時生さんは肌着でそこら辺を歩き回るんですよ。

時生:生活してきた場所だからね(笑)。

海史:その感覚もわかりますけど、多くの人の場合は渋谷や下北に行くとなると、“武装”じゃないけど、気合い入れてお洒落していく感覚があるんです。

—それが初対面の時生さんに「下北に住んでるのに下北らしい服」と言われたわけですよね(笑)。

海史:はい(笑)。時生さんは街を歩いているだけで「あ、柄本時生だ!」ってめっちゃ声をかけられるんですよ。でも特に気に留めることもなく、嫌がるわけでもなくいたってニュートラル。だけど、生活感丸出しの状態から衣裳を着て被写体になるまでの流れもすごくシームレスで、そんな地元の人間味に、僕も地元民ながら「カッコいい」って思いました。

時生:そんな感じなんで、地元だから話せることもあれば、逆に気づいていいない魅力もあるような気がしますね。

—今回はそこで生まれ育ったお二人にローカル目線の話を聞きたいと思っています。

海史:特に近年の下北は、例えば駅の南口がなくなったり、「ミカン下北」ができたり、大きく変わったじゃないですか。街は綺麗になったけど、地元の人間としては昔ながらの趣がなくなっていって寂しい気もする。そんな気持ちを商店街の運営の方に話したら、「気持ちはよくわかるけど、変わり続けることがポリシーだと思ってやっている」とおっしゃっていて、どこか腑に落ちました。たしかに僕の両親の時代から下北は若者の街だった。そして今も週末ともなれば大勢の若者が集まってきて、もう50年くらい若者の街であり続けている。でも、もし昔から何も変わらなかったとしたら、そのイメージはいつしかなくなって、街にいる人の年齢層が上がっていっただけかもしれないですよね。

—確かにそうかもしれません。

海史:下北で若者時代を謳歌した先輩方が、自分たちと同じように今の若者にも下北を楽しんでもらいたいという願いがあるからこその変化だと考えると、ポジティブな側面もたくさんあって、一緒くたに良い悪いと考えるのは違うなと、思いました。

時生:なるほどね。オレさ、ケージ下北沢のオープニングイベントのトークショーに、同じく下北沢出身のKenKenさんと出たのよ。その時、若気の至りで「こんなのできてもしょうがない」って言っちゃったの(笑)。

海史:オープニングイベントで? それは尖りすぎですよ(笑)。

時生:そんな類のことを喋って、締めの一言で「これからまた、新しい人がたくさん入ってくるのはいいと思うけど、心の中で街へのリスペクトは忘れないでください」って言っちゃったの。それに対してKenKenさんは「オレが子どもの頃、ここは壁だった。それがケージになって初めて中に入ることができて、今新しい景色を見ています。そして今後、子どもたちがこの景色を見て何を感じてどうなるのかが楽しみです」みたいなことを言ったの。「カッコいい…! なのにオレはなんてことを、ごめんなさい!」って思った。

海史:KenKenさんって、下北沢の再開発に必ずしも前向きではないイメージがあって、時生さんより尖ったこと言いそうなんですけど、そのコメントは見事ですね。すごく希望のある言葉だし、いろんな捉え方もできますね。

時生:イヤな印象はまったくなくて、絶妙だと思った。あんな大人になりたいって思ったもん。で、あらためて今の自分が思うのは、近年は特に、インターネットやSNSなどを通じて、何かしらのカルチャーを発信する街としての下北沢ブランドみたいなものが“出来上がった状態”で発信されている。だから来る人も予習復習して、答えを持って訪れるじゃないですか。

—偶然性という要素は減りますよね。

時生:SNSを見て抱いたイメージに対するジャッジや答え合わせってどうなのか、もっとそれぞれの楽しみ方があるんじゃないかって思うんです。でもKenKenさんが言うように、そんな僕とは感覚の違う人たちが、下北から何を感じて、下北がさらにどう変わっていくのかが楽しみでもある。この場所がホームタウンである一人の地元民としては、不安と期待が入り混じっているというのが、本音ですね。

海史:僕の仕事と紐づく話で言うと、古着屋もそうですよね。今の下北には140近い店舗があるらしく、衣裳屋としては仕入れ先がたくさんあってめちゃくちゃ助かってるんです。でも、何店舗も回っていると、‟下北=古着”という事実が誇張された部分も感じます。それによって「下北で古着屋をやれば儲かる」とか、「とりあえず‟#下北沢”がほしいだけ」な店も増えたように思うんです。人々がSNSでのバズなどに引っ張られることで、新規であれ老舗であれ、ほんとうにカルチャーが好きで志をもっている良店が埋もれていってほしくない。まだそこをセグメントできない未来ある若い人たちの行く先に対する懸念もあります。どんな店に出会ってどんな服を買うのかって、生活を豊かにするうえでとても大切ですから。

—下北沢の面白さって、その奥行きだと思うんです。メジャーな繁華街でありながらしっかり住宅街ですし、そのなかで朝までやっている店やイベントがたくさんあったり、昔からずっと静かに営業している店や、流行とは距離のあるインディペンデントな文化があったり、ほんとうにさまざまな顔がある。

海史:そうだと思います。スーパーに行くと客層の多様さに驚きますから。この街には地元に昔からいる人だけでなく、いろんな人種がいるんだなって、ずっと住んでいても新鮮ですね。

時生:ちょっと話が逸れるかもですけど、僕が勝手に“下北の妖精”って呼んでいた人がいて、去年あたりから見なくなったんですよね。そこら辺によく座っていた腰の曲がったおじいちゃん。

—あ、わかるかもしれません。

時生:駅前で漫画を朗読していたおじさんも見なくなりましたね。東方力丸さんという俳優さんで、実は僕、映画『蟹工船』(2009年)で共演してるんですよ。その漫画の方と一致したのはけっこう後なんですけど。お二人が下北から姿を消したのは個人的な事情かもしれない。でも、そういう人たちの居心地が悪くなる街にはなってほしくないなって、思うんです。そういう意味では、さまざまな文化や人のレイヤーの共存という、下北ならではの面白さに気がつかない、‟下北が下手な人“が増えたような気はします。

海史:‟下北が下手な人“にも、下北のディープな魅力を伝えられたらなって思いますね。

—最後に‟実験区”に因んで、お二人がこれからやってみたいことも聞かせていただけますか?

海史:下北沢のどこかで、ファッションショーみたいなことをやってみたいですね。この間「ミカン下北」で「yutori」がファッションショーをやっていたんです。飲食店が集まっている通りをランウェイに見立てていて、映像がすごく良かった。それは「yutori」のアイデアであって真似をすることではないんですけど、ベクトルとして僕もそういう独自の発想が効いた何かをやりたい。そのためにブランド力をつけなきゃなって思います。

時生:実験というか、新しい試みとしてドラマの制作側として動こうとしています。でも予算のこととかさっぱりなんですよね。そこは海史くん、衣装屋やブランド運営もやってるわけだし、ガチで相談させて。

海史:ぜひ。僕もたくさん世話になってますから。今後ともよろしくお願いします。

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取材・文:TAISHI IWAMI  撮影:是永日和  取材協力:CANDLE CAFE & Laboratory ∆II
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柄本時生
2003年、映画 Jam Films S『すべり台』(主演/2005年公開)のオーディションに合格し、デビュー。2008年の出演作品により第2回松本CINEMAセレクト・アワード最優秀俳優賞を受賞。
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岩男海史
衣裳家の両親の元に生まれ、幼少より芸能と携わる。16歳より演劇の衣裳助手として活動を始め、18歳より俳優活動を開始。俳優業を中心に、衣裳・アパレルブランドなども手がける。
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