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日本のバンドから衝撃。その熱を下北沢から世界に届けたい—ハリー・ボサートが繋ぐライブシーン愛

下北沢のライブシーンと世界を繋ぐ架け橋。ハリー・ボサートさんを表現するなら、そんな言葉がぴったりだろう。YouTubeチャンネル「ANGURA(@angura_live)」では日本の気鋭バンドを 英語/日本語で紹介し、自身が運営するInstagramアカウント「Gigs in Tokyo (@gigsintokyo)」では、東京のライブ情報を海外に向けて毎日発信。さらに、ハリーさんがライブハウス「BASEMENTBAR」で開催したイベントでは平日にもかかわらず200人近くの集客を記録。今や多種多様なバンドが連日夜を盛り上げる下北沢に欠かせない人物だ。

 

イギリスで生まれ、学生時代はアニメーション制作に熱中した彼が日本のバンドに出会い、その魅力を世界に発信する。音楽を通じて文化を越えたつながりを生み出す実験的な活動の背景にあるのは、下北沢の音楽シーンで受けた衝撃と、海外へ伝えたいという情熱だ。公私共に交流が深いというライブハウス&カフェバー「Retronym Livehouse&Art Studio」にて、取材を決行した。

ハリーさんが主催したフライヤー。イベントのコンセプトごとにそれぞれのデザインが光る。

 

今回は、以前「実験区下北沢」で取材させていただいたツネ・モリサワ(Key./株式会社近松代表)さんが縁を繋いでくれたことでインタビューが実現(なぜにTHEラブ人間は下北沢にて―バンド、ライブハウス、地域交流まで。金田康平(Vo.)・ツネ・モリサワ(Key./株式会社近松代表)が紡いだ居場所)。下北に暮らす“気のいい人”から“気のいい人”へ。

 

イギリスの“レゴ少年”がインディー音楽と出会うまで

―そもそも日本に興味を持ったきっかけはなんですか?

8歳のときまで遡ります。当時、日本人の先生が放課後に行っていた「ジャパニーズクラブ」という活動に参加していて。簡単な漢字の書き方を教えてくれたり、流行のバンドとしてDragon Ashを紹介されたこともありましたね。昔から日本の文化に触れていたんです。

―日本に来ようと思った経緯を教えてください。

僕は12歳の頃からレゴのコマ撮りアニメーション動画を作っていたんです。16歳の頃、サンタバーバラで起きた出来事を題材にした楽曲「Megaphone」をテーマにしたミュージックビデオ(https://www.youtube.com/watch?v=x6djXyR6b9g)をYouTubeに投稿して。ありがたいことにたくさんの反響をいただけたんです。例えば、サンタバーバラ国際映画祭のトレーラーに使われたり、「レゴ少年」として地元紙に載ったり、イギリスのPR会社から連絡があったり。その一環として、日本の有料放送チャンネル「WOWOW」とも繋がることができたんです。「日本に行く」という選択肢がはっきり生まれたのはその時ですね。大学在学中は訪日のタイミングを伺いながら、日本語を独学で勉強していました。

―日本のバンドに興味を持ったのはいつですか?

2015年ですね。WOWOWの方に会えることになり、初めて日本を訪れたんです。その時に立ち寄った渋谷の『タワーレコード』で、シンガーソングライター・ラブリーサマーちゃんの「ベッドルームの夢」を発見して。視聴した瞬間、「なにこれ!」と。当時はまだ日本語があまり分からなかったのですが、とにかく聴いたことのない音楽だったんです。

イギリスに帰ってからは、インターネットで彼女と繋がりのあるアーティストを掘り下げる日々でした。そこには全く知らないカルチャーが広がっていて、「こんなに面白いのに、なんで誰も教えてくれなかったの?」と思いましたね(笑)。

―イギリスもインディーロックが有名ですが、あまり触れることはなかったのでしょうか?

僕はロンドンの隣にあるサリー州の出身なのですが、バンドカルチャーとの接点はほとんどなかったです。周りの人が聴いていたのはチャートに出てくるようなポップミュージックばかり。むしろ「イギリスのインディーロックに影響を受けた」と語る日本のバンドを知って、自国の音楽にじっくり目を向けるようになったくらいです。

動画制作、情報発信、ライブ企画。あの手この手で伝えるバンド愛

―下北沢のライブハウスの常連になったのはいつでしょうか?

2016年に訪日して、「TOKYO CALLING」という複数の都市(下北沢、渋谷、新宿)をまたぐサーキットフェスに参加したときですね。僕は下北沢の数件のライブハウスを巡ったのですが、どこも違った雰囲気で、出演するアーティストにも色々なスタイルがあって。特に「ぽわん」というインディーロックバンドはクレイジーで最高でした。それに、イギリスでは見たことがない密度でライブハウスが集まっているところも新鮮だった。

―その感想はリスナーから “教える側”に回った現在の活動にも繋がっているように感じます。

発信する側に回ろうと思ったのは、コロナの影響が大きいですね。2018年に日本へ引っ越してから、1年半くらいでロックダウンがあって。ロックダウンの寂しい状況の中で、友達になかなか会えなかったですけど、みんなマスクをして、お互いの距離を保って、諸々のルールを守るライブハウスにはたくさん通えました。すでに通っているほうでしたけど、ほぼ毎日行くようになりました。

その時に出会った音楽と体験と人に救われたように感じたのに、アーティストの活動の難しさをよく見ていて、ライブハウスもアーティストにも恩返ししたいから「僕ができることは何かないか」と思っていろいろな活動を始めました。

そこで思いついたのが、動画制作という僕にできるやり方で、海外に向けて日本のライブハウスを発信することで。奈良県在住のイギリス人のプロデューサーとタッグを組んで、2022年に「ANGURA」を立ち上げました。

―「ANGURA」ではインディーズのミュージシャンをテーマにしたドキュメンタリーを投稿しています。動画制作で大変なことはありますか?

アニメーションと真逆のノウハウが求められるんです。これまでは完璧な“絵”を作るまでに何度も調整していたのですが、ドキュメンタリーはその場で起きたことが全てで。初回はオルタナティブロックバンドのJohnnivanに出演してもらったのですが、オファーした翌日に撮影が決まったんですよ。カメラだけ準備して、ぶっつけ本番で挑みましたね。

ただ、彼らのライブに何度も足を運んでいたので、「次はこんな動きがくる」と予想できたのは大きかったです。それから企画書をつくってから撮影に臨んだり、カメラの使い方を試行錯誤して、ドキュメンタリーでも狙った絵を撮れるように研究しましたね。ただ最初は何もかもが手探りでした。

―2023年にはインディーズミュージシャンのライブ情報を発信するアカウント「Gigs in Tokyo 」も立ち上げました。

イベントの情報をただ発信するだけでなく、アカウントから予約が直接できることにこだわりました。海外の方がライブに参加する最大のネックは、日本の電話番号を持っていないことが原因でチケットアプリに登録できない。他にも取り置き文化など、海外の方には難しいんです。「Gigs in Tokyo」がライブハウスとの仲介になることで、その問題を解消したかったんです。

―「Gigs in Tokyo」を運営する上で一番大変だったことはなんですか?

ライブハウスに連絡しても興味を持ってもらえないことでした。90年代のインディーロックブームから30年同じように続けてきたやり方を変えるのは難しかった。「情報だけでも送ってほしい」と伝えても、連絡がない日々が続きました。そんな状況を救ってくれたのは『BASEMENTBAR』と、同フロアにある『THREE』のスタッフですね。僕のことを信じて積極的に連絡してくれた。今では毎日情報を更新できるのは彼らのおかげです。

―ハリーさんはライブイベントの主催もされていますが、出演アーティストはどのように選ばれていますか?

僕の大好きなアーティストを新規のお客さんに紹介するつもりでやっています。プラットフォームを作っているので、流行りを気にせずイベントを自由に組むことができます。

―特に印象に残っているライブはありますか?

2024年の12月に「SHOCK FACTOR」というイベントを『BASEMENTBAR』で開催したんです。タイトルを直訳すると“衝撃効果”で、心身ともに衝撃を受けるアーティストを集めたいという思いを込めていて。インディーズアーティストのみの4マンで、しかも開催日は月曜日。人が集まりにくいとされるラインナップと日程なので、僕自身「人が来てくれたらいいな」ぐらいに思っていたんです。でも当日を迎えたら「Gigs in Tokyo」経由で100人以上のお客さんが来てくれて、会場が満杯になった。『BASEMENTBAR』のスタッフと一緒に「どういうこと!?」と混乱しましたね。予想外の盛り上がりすぎて会場のビールがなくなったり、結果として一番衝撃を受けたのは僕だったんです(笑)。

『SHOCK FACTOR』 2024-12-2 RiL
Photo by古谷春

『SHOCK FACTOR 2』 2025-4-15 – Hammer Head Shark
Photo by藤咲千明

―ハリーさんの活動が身を結んだ瞬間といえますね。

嬉しかった反面、この奇跡は二度と起こらないと思ったくらいです。でも、時間が経つと、「一度では何も証明できたとはいえない」と感じ始めて。「SHOCK FACTOR」の第2回を2025年4月に開催しました。

―実際にどのようにお客さんを集められたんでしょうか。

この時は宣伝方法を試行錯誤しました。「Gigs in Tokyo」のアカウントで参加アーティストの音楽を使った動画広告を出していたのですが、反応がいまいちで。そこで、僕がカメラに向かって下北沢のライブハウスの魅力を英語で話す内容に変えてみたんです。そしたら想像以上に反響があって、たくさんの人が来てくれました。

その時、好きなようにやり切ることが大事だと確信を持ちましたね。特にSNSで「ライブハウス楽しいよ!」と主催側や会場側からのアピールがあった方が、もっとふらっと、もっと自然に新規のお客さんがライブハウスに来るようになって、その参加がしっかりアーティストの支援と芸術の成長につながる。

フライヤーやトレーラーの拡散だけでなく、主催者として「ライブハウスの体験」をアピールすることで、平日のインディーズの4マンでも、新規のお客さん(特にインバウンド)にたくさんご来場いただけて、大成功につながる。ビギナーズラックではなく、何度も成功体験を重ねることで自信が持てたので、誰か見本となれたら一番嬉しいですね。

世界一音楽を楽しめる街・下北沢

―今では下北沢のライブハウスでよく海外の方を見かけます。ハリーさんが自身の活動の影響を感じる瞬間はありますか?

「Gigs in Tokyo」で宣伝したライブに足を運ぶと、海外の方がよく声をかけてくれるんです。「このライブハウスは最高だよ」「君がいなかったら知れなかったよ。ありがとう」と感謝してもらえると嬉しいですね。僕が好きなアーティストの音楽が着実に海外に広がっていることを実感できますから。

―海外の方から見て、下北沢のライブシーンはどのように写っていると思いますか?

下北沢を舞台にしたアニメの『ぼっち・ざ・ろっく!』でその存在を知った方はかなり多いでしょう。作品の“聖地”であるライブハウスの『下北沢SHELTER』は知名度が高いのではないかと。その一方で、歴史と多様性のあるカルチャーであることを知らない人も、過半数だと思います。「Gigs in Tokyo」ではそういった方にリーチしていきたいですね。きっかけはアニメでも、そこから多種多様なバンドに興味を持つ方はきっと多いですから。

―下北沢のライブハウスカルチャーに新しく刺激的な潮流を作ったという意味で、ハリーさんの活動はまさに“実験”だと思います。今後はどのようなアイデアを試してみたいですか?

キャパシティの大きなライブハウスでイベントを企画してみたいです。ジャンルはポップスからパンクまでごちゃまぜで、無名のインディーズばかりがたくさん出演するイメージ。海外からきたお客さんに「何これ!」と言わせたいですね。さらに先の目標としては、僕の母国でもライブを開催したい。日本のインディーズアーティストが出演するカナダのイベント「Next Music from TOKYO」のイギリス版のようなイメージですね。

―下北沢という街と、今後どのように関わっていきたいですか?

クオリティの高いライブが毎日行われているのに、下北沢はなぜ他の観光地のように宣伝しないのか、と疑問に感じることがあるんです。オーバーツーリズムをまだ心配する段階ではないにもかかわらずです。だからこそ、例えばライブハウスのマップを作ったりと、初めて下北沢に来た外国人の入り口になるような活動をできたら嬉しいですね。下北沢は世界一音楽を楽しめる街だと、僕は思っていますから。

Information

取材・文:山梨 幸輝  撮影:Kazuma Kobayashi 取材協力:Retronym Livehouse&Art Studio
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ANGURA: Japanese Underground Music
https://x.com/ANGURA_live
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Retronym Livehouse&Art Studio
Shimokitazawa Commercial, Building 3F, 2丁目-15-17 北沢 世田谷区 東京都 155-0031 Googlemap
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