2023年3月3日(金)~8日(水)、下北沢・本多劇場にて舞台『背信者』が公演された。『背信者』はニッポン放送とストーリーレーベル『ノーミーツ」の共同制作作品で、劇場公演に加え全公演のオンライン配信を実施。(配信は4月2日まで購入・視聴可)ノーミーツはこれまで配信をメインとしており、リアルの劇場公演は初の試みとなる。
ノーミーツが始動したのは、新型コロナウイルスによる行動制限が本格化した2020年4月だ。『劇団ノーミーツ』として旗揚げした彼らのテーマは、「NO密で濃密なひとときを。」。稽古から上演まで1度も会わずに作品を創り上げる方針やストーリーが時代背景にマッチし、さらに高い配信技術も相まって一気に話題となった。2021年12月には、劇団から「ストーリーレーベル」にリブランディング。広告や映像など多彩な出自のメンバーそれぞれの才能を活かし、常にチャレンジングな試みを行っている。
主宰のひとりである小御門(こみかど)優一郎さんは、ノーミーツが手掛ける多くの作品で作・演出を務めてきた。演劇人でありながら「劇場ではなく配信の作品を創る」環境にいた小御門さんにとって、劇場公演に関わるのは約3年ぶり。レーベル初の劇場公演『背信者』に挑むにあたり、どのような想いを抱いていたのだろうか。話を聴くと、本多劇場に対する並々ならぬ想い、そして彼の創作活動の軸となるテーマが見えてきた。
長年のテーマが反映された『背信者』
—小御門さんは、いつ頃から演劇に携わるようになったんですか?
もともと高校生くらいから物語を創ることには興味があって、授業の一環で書いた創作が校内の文芸誌に載ってすごく嬉しかったことがありました。その後演劇の世界に関わり始めたのは大学入学のタイミングですね。入学式のあと演劇サークルの先輩に勧誘されて「面白そうだな」と思って、のこのこ着いて行ったのが最初でした。ただ入ったのが150人くらいいる、でっかいサークルだったんですよ。その中で作演出の立場を勝ち取るのは難しくて、出来るようになったのは3年生になってからでしたね。
—当時はどういう作品を創っていたんですか?
初めて手掛けた長編演劇は、ざっくり説明すると「人間が死ぬのは肉体の強度が魂のエネルギー量を下回った瞬間で、容れ物から魂があふれると死んでしまう」という設定でした。ある人間が「ヤバい、魂があふれちゃう」というときに魂を3つの肉体に注ぎ分けて、死を回避するんです。別々の個人として目覚めた3人のうちのひとりが「自分の魂が3分の1しかない」ことにコンプレックスを持ち、自分をそんな状態にしたヤツと対峙する……みたいな話で。その3兄弟には、『カラマーゾフの兄弟』から取った名前を付けました。実は、今回『背信者』をやってすごく当時のことを思い出したんですよ。主人公であるクスノキのアイデンティティが絡む話だし、ジョージ・オーウェルの『1984』を彷彿とさせることをやるとか、自分の文化的素養みたいなものをひけらかすような部分が当時の作品と共通していて。……僕って、全然変わってないなと(笑)。
—では、『背信者』は小御門さんの原点に近い作品だったんですね。
そうですね。ノーミーツでは、ずっと「会えない時代になにができるか」を念頭に作品を創ってたんですよ。ニッポン放送さんと創った『あの夜を覚えてる』(2022年)は、先に「ラジオ」というテーマが決まってました。ノーミーツが始動して3年近くはそんなふうに時代性やテーマを踏まえていたけど、今回は久しぶりに「好きに書いていい」と言ってもらえたんですよ。好きに書いたとき、「またここに戻ってくるんだ」という感じがありましたね(笑)。『背信者』は、個人的な叫びに近いかもしれません。
また、今回の公演の主催であるニッポン放送さんは、『あの夜を覚えてる』以降も我々ノーミーツのチャレンジングな活動を応援し続けてきてくれました。『背信者』は「また劇場という場所で、新しい表現を作ろう!」という両者の話し合いから始まった、思い入れの深い作品でもあるんです。
※『背信者』の特設サイトはこちら
https://event.1242.com/events/haishinsha/
—『背信者』は「真実と虚構」がテーマとなっています。これは小御門さん自身の長年のテーマでもあるそうですが、それはなぜですか?
僕がずっと抱いている「フィクションコンプレックス」に関係しています。僕は、裕福すぎず貧しくもない家庭で、なに不自由なく育ててもらったんです。なんでも買い与えてもらったし、進路も口出しされませんでした。実は演劇をやり過ぎて1年留年してるんですけど、そのときも特に怒られず……。そんなドラ息子の人生に、「ストーリーなんてあるわけなくない?」ってコンプレックスがあって。
僕のフィクションの原体験って、松本零士先生の『銀河鉄道999』なんですよ。この物語には、「永遠の命を手に入れたいと思っている主人公が、壮大な銀河の旅を経て限りある生の尊さを知る」みたいテーマがあります。第1話でお母さんが殺されて、メーテルという謎の美女が現れて……というところから、主人公の冒険が始まるんですよ。でも、僕の人生で“そういうこと”は起きない。ってことは、僕の人生において身をもって再発見するテーマも無い。そう思ったらすごく悲しくて、「僕に使命は無いんだ」という劣等感がずっとあったんです。
でも、10代半ばくらいで気付くわけですよ。「人生でなにも発見できないであろう空虚な男が、どうすればキャラクターより優位に立てるか?それは創る側になることだ!」と(笑)。劣等感に苛まれずに“お話”を楽しめるようになるには、作劇能力を付けなくてはならない……ってところから、「お話を創りたい」と思うようになったんです。だから、「真実と虚構」は僕の活動にずっとあり続けるテーマなんですよ。
—『背信者』を観た方にしか分かりませんが、作中ではっきりと小御門さんの“コンプレックス”を言っているシーンがありましたね。と考えると、この作品は小御門さんの「第1章・完」くらいのインパクトがありますね。
作品を観た友人には「お前は、作品を次のステージに進むための儀式かなにかだと思ってるのか?」みたいなことを言われました。でも、確かにそうかもしれないです(笑)。
演劇の聖地=本多劇場で行う「配信と背信」
—ノーミーツさんは、2020年に始動した後はずっとオンラインで公演を重ねていました。今回の『背信者』は、初めての劇場公演ですね。
やっと、お客様の前で公演ができました。立ち上げ当初は、演者やスタッフも本当に会ってなかったんですよ。小道具は全部郵送だし、フライヤー用の撮影もひとり。公園に撮影機材やマニュアルが一式入ったバックを置いて「ベンチの下にバックがあるので、セルフタイマーで撮ってください」みたいな指示を出したり。なんらかの犯罪行為みたいなやり方ですよね(笑)。縛りプレイを楽しむかのように、会わないことを徹底してました。演者が会えるようになった2021~2022年は、浜辺やサンリオピューロランド、空港、ニッポン放送の社屋など「場所を面白く」して公演を配信していました。
—『背信者』は本多劇場で公演が行われましたね。長く演劇に携わっていた小御門さんにとって、本多劇場での公演はかなり大きな出来事なのではないでしょうか?
そうですね。演劇人にとっての本多劇場は、ミュージシャンにとっての武道館みたいなものですから。本多劇場くらいの規模になると、商業性を無視できないんですよ。つまり、市場に出せるレベルの作品なのかが問われます。そして、歴史的に見ると本多劇場をターニングポイントとしてメジャーになった劇団さんがいっぱいいます。演劇人にとっては聖地であり、重要な意味を持つ劇場なんです。そこでやれるってすごすぎるし、怖いくらいでした。ただ、ノーミーツは最初“劇団”を名乗ってたわりに、演劇をやっていた人は少なくて。だから「本多劇場で公演ができる!すごい!」と僕は興奮してるけど、まわりは僕ほどこの重大さにピンときてなくて、ただ楽しみにしている感じでした(笑)。
—本多劇場でやることの特別感を理解しているからこそ、プレッシャーは大きいですよね。
僕らが本多劇場でやるなんて「怒られるぞ」と思ってました(笑)。それから、過去の経験から「大きい劇場だからこその演出の難しさ」も分かっていたので、そういう恐怖もありましたね。
—劇場公演と同時にオンライン配信もあったので、演出はさらに大変そうです。劇場だけでなく配信も行ったことに、なにか意味があるのでしょうか?
劇場公演に配信を掛け合わせることは、最初から決めていたんですよ。ノーミーツの技術レベルって、手前味噌ですけどすごい水準に達していて。この技術を劇場でも試してみたいと思ってたんです。
それと、“配信”という言葉にも意味があります。そもそも、今回の作品は中身よりも『背信者』というタイトルを先に思いついたんですが、実はノーミーツを始めてから演劇にどことなく後ろめたさを感じていて。ノーミーツが始動した2020年の春頃は、劇場が閉まってどんどん演劇ができなくなっている時期だったんです。演劇人たちが「どうしよう」という雰囲気だったとき、僕らは楽しげに活動している。それって、正直ウザイだろうなと思っていて。僕自身、充実感はありつつ「“演劇そのもの”をやっているのではない」と重々承知していましたし。つまり「僕がやっていることは、演劇に対する背信行為なのでは?」と思ったとき「配信と背信、音が一緒だ!」と気付いて。しばらく劇場を離れて配信をやっていた=背信行為をしていた者が劇場に戻って参りました、という。それが作品制作のスタートなので、配信は必須でした。そして、このように自分が背負っている物語を総動員しないと立ち向かえないくらい、本多劇場は大きな存在でもありました。
—なるほど、「背信」という言葉にそんな意味が込められていたとは驚きです。初の劇場公演に挑むにあたり、配信だけのときと比べ作家としてのスタンスに変化はありましたか?
根底はあまり変わってない気がします。ノーミーツの生配信公演って、ずっと「観ている人に役割を担ってもらう」作品だったんですよ。視聴者が物語に介入できるシステムを作っていて、例えば『それでも笑えれば』(2020)ではシナリオの分岐を選べたり、『あの夜を覚えてる』(2022)では視聴者が「リスナー役」を担って参加したり。僕はこういう、物語に視聴者が関わる“虚実ないまぜ”が好きなんです。『背信者』でもそれは共通していて、劇場・配信どちらも、観ている人が物語に関わる仕掛けを作っています。
—劇場と配信を同時に演出するうえで、どんなことにこだわりましたか?
劇場と配信それぞれに“切り取り方の差”を付けて、与える印象を変えることは脚本執筆の段階から意識していました。今って、切り取られ方の違いで「こんなに印象が変わってしまうんだ」という悲しさがいっぱいある時代だと思うんですよ。だからこそ、劇場と配信では見せるものを変えたりしてます。たとえば劇中でとある写真が出てくるんですが、これは劇場と配信で異なる画を見せてるんですよ。
—配信で観たんですが、劇場ではどんなふうに見えていたんだろうと気になりました。キャラクターをカメラで追ったり上から見下ろしたりなど、客席とは明らかに違う見せ方にしていましたよね。
今回やってみて面白かったのが「配信のほうが話を追いやすい」という気付きがあったことでした。客席で観ている人は、自分で意識的に「このシーンは全景で観るべき」「あのやりとりに注目しよう」と切り替えるじゃないですか。これって一人ひとりの読解力に応じて変わるし、演劇に慣れていないと難しかったりするんですよね。でも配信では強調したいところを意図的に捉えることができるし、スイッチングによって話題の変化も分かりやすい。今回の取り組みで、お客さんが普段どういう力を使って演劇を観ているのかに気付くことができました。ノーミーツの活動自体が、こういう気付き直しの連続ですね。
—観客視点でも、ノーミーツさんの作品を通して気付きがありました。個人的に、ほかのお客さんがハッとしたり涙したりするような息遣いを感じられるのが劇場の魅力だと思っていたんです。そしてそれは配信では実現できないと考えていたけど、ノーミーツさんの配信はチャットがあるので「ほかのお客さんの思考を感じられる」点において、劇場と共通している部分があるとわかったんですよ。
まさに、チャット欄の存在はすごく大きいと我々も思ってます。チャットがあることで僕らも「観てもらっている」感覚があるし、息遣いは感じなくとも「私たちは同じものを観ている」ことが分かるので、視聴者に緊張感が生まれる。これも、チャット欄を設けてみないと分からないことでしたね。
作り手と受け手の共創
—下北沢といえば演劇の街というイメージがあります。演劇に長く携わっている小御門さんにとって、下北沢はどんな街ですか?
下北沢は、観劇しによく来てました。ただ、公演をやる側になったのは『背信者』が初めてです。やっぱり下北沢というだけで演劇界におけるひとつのブランドなので、「下北沢で公演する」こと自体が憧れでしたね。
—初めて下北沢で公演してみて、いかがでしたか?
「この街で起こっているイベントを任された」感じがありましたね。本多劇場グループの掲示板にポスターが貼られているし、駅前ではサイネージ広告も流れていたし。なんというか、ほかの街では劇場近くに住んでいる人だとしても「この建物が劇場だとは知らないんじゃないか?」という感覚があったんです。街に人を呼んでいるというより「劇場という座標にお客さんを呼んでいる」感じだったんですけど、今回は「下北沢にお客さんを呼んでいる」ような認知がありました。それから、劇場同士が呼応している感覚もありましたね。たとえば『背信者』の公演期間、ザ・スズナリではナイロン100℃さん(ケラリーノ・サンドロヴィッチが主宰する劇団)が公演をしていたんですよ。僕的には「ケラさんと併走してんのか!」みたいな高揚感もあったりして(笑)。
—自身の創作テーマでもある「真実と虚構」を反映させた『背信者』を終え、これからどんなことをやっていきたいと考えていますか?
観てもらうことで作品が完成するような、「お客さんと一緒に物語を創る」ことはもっとやっていきたいと思ってます。今は、過去の名作や巨額の予算を投じたコンテンツをいつでも観られるNetflixのようなサービスが主流ですよね。そういう時代に演劇を観てもらうためには「リアルタイムであなたに観てもらわないと、この作品は完成しないんですよ」というお客さんとの共創が必要だと思うんです。例えば『あの夜を覚えてる』では、主人公にかけられていた“呪い”を解くことをリスナー役の視聴者に完全委託したのですが、その総合演出を担当した佐久間(宣行)さんも「作り手と受け手の信頼関係をより高次化させていくことが、これからのコンテンツにおいて大事かもね」と言っていて。こういう、“虚実ないまぜ”の共創はもっとやりたいですね。
—『背信者』は、4月2日(日)までアーカイブ映像を観ることができますね。最後に、これからこの作品を観る方にメッセージをお願いします。
配信では、11台の固定カメラに加え、舞台上のキャラクターがカメラで撮影した映像も観ることができます。客席からでは観ることのできない内容になってますし、「配信で観る」ことにもすごく意味を込めた作品です。なので「劇場で観れなかったからしょうがなく配信で観るか」という感じではなく、ぜひ“配信でこそ”観ていただきたいと思います!
※チケットのご購入はこちら
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2235802