作家のアート作品が並ぶギャラリーのような空間で、その世界観を落とし込んだ独創的なカクテルを提供。下北沢から徒歩10分の小田急線・世田谷代田駅近くにある『Quarter Room』は、オーナーの野村空人さんによる“実験”の場だ。ジャンルの枠を超えたコラボレーションを続け、蔵前の人気リカーショップ『NOMURASHOREN』のオーナーや、香りを作る調香師としても活動。バーの既成概念を打ち壊し、新たな可能性を提示し続ける野村さんがバーテンダーを目指した理由とは。また、世田谷代田という場所で実験を行う理由とは?
イギリスで発見したカクテルの奥深さ、日本で知った食材の多様性
―野村さんがバーテンダーになろうと思ったきっかけを教えてください。
美大志望だった20歳の時、ロンドンに留学したんです。「日本よりも海外で学びたい」と一年制のカレッジに入学したのですが、そこでも「なんだか合わないぞ」と中退してしまって。学費や生活費を稼ぐために知り合いのバーで働きはじめたんです。小料理屋を経営する両親のもとで育ったし、お酒も好きだったので、その選択は今思えば必然的だったのかもしれませんね。
―バーテンダーという仕事に魅力を感じたのはどのタイミングですか?
ロンドンのバーで、レシピは同じなのに別のバーテンダーが作ったカクテルの方がよく売れることに気づいた時です。その理由を分析したら、グラスに乗せたガーニッシュ(飾り付け)の見せ方や、コミュニケーションを通したお客さまの楽しませ方が自分と違うことに気づいて。ただ美味しければいいのではなく、見た目や体験もカクテルの一部なんだと。そこでバーという文化と、僕が好きなアートやエンターテインメントが繋がったんです。
―帰国後はどのように活動しましたか?
友人である、『Bar TRENCH』のロジェリオ 五十嵐 ヴァズくんが「富ヶ谷にあるカフェバーの『FUGLEN TOKYO』がマネージャーを募集しているよ」と教えてくれて。そこで3年ほど働きました。
―『FUGLEN TOKYO』ではどのようなことを学びましたか?
日本の魅力を知りました。『FUGLEN TOKYO』のオーナーはノルウェー人なのですが、彼が現地と日本の食材をかけわせて味わったことのないフレーバーを生み出していたんです。僕自身、日本でのバーテンダー経験はほとんどなかったので、「こんな使い方ができるのか」と先入観なくノウハウを受け入れることができました。それから国内の野菜やフルーツの農家さんとやりとりをすることになって、自分自身のカクテル作りの可能性が広がりましたね。
―『FUGLEN TOKYO』を離れてフリーランスになってからの活動についても教えてください。
前職の頃の繋がりで、表参道・GYREや日本橋・Aoなどのバーの立ち上げにコンサルティングとして携わりました。それ以外に、フィンランドのジンメーカーのアンバサダーも担当したこともありましたね。その経験を通して、バーテンダーとしてお酒を作るだけでなく、飲食そのものの可能性を広げていきたいなと思って。僕の活動方針でもある“バーとドリンクを通して食の多様性を拡張する”というコンセプトも、その時に生まれました。
馴染み深く、“気”がよい。青春時代を過ごした世田谷エリア
―2022年には蔵前で『NOMURA SHOTEN』、その翌年には世田谷代田で『Quarter Room』と、2つのバーを立て続けにオープンされました。
自分のお店もオープンしたいと思っていたんです。そのタイミングで不動産の方に紹介してもらったのが蔵前と世田谷代田の物件でした。
―世田谷代田という場所を選んだ理由はなんですか?
多少アクセスが悪くても落ち着いた場所がいいと思ったからです。「なんで渋谷でやらなかったの?」と聞かれることもありますが、都心の雰囲気は僕とは合わないと感じていて。それよりは、わざわざ来てもらえる価値があるお店にしたかったんです。
また、馴染み深い土地だったという点も大きいです。高校が祐天寺だった関係で、下北沢から池ノ上エリアに住む友人とよく遊んでいましたし、『FUGLEN TOKYO』で働いていた頃は代沢のあたりに住んでいましたから。
―下北沢の思い出はありますか?
下北沢は大学時代によくお酒を飲みにきたり、井の頭線に沿って渋谷の辺りまでをひたすら散歩したこともありました。時間が有り余っていたのでしょうね(笑)。
あと、喫煙者だった頃は下北沢のピーコックストア近くのタバコ屋に通っていました。ここ数年で下北沢はめまぐるしく進化していますが、あの辺りの景色はいい意味で変わらないなと思いますね。
―世田谷代田の魅力はなんですか?
高い建物が少なくて、開けているところですね。冬の晴れた日は富士山が臨めて、どことなく“気”がいいんです。
アート作品のようにカクテルを。野村さん実験の場・Quarter Room
―『NOMURA SHOTEN』『Quarter Room』それぞれのコンセプトを教えてください。
『NOMURA SHOTEN』は“新しいお酒に出会える立ち飲みリカーショップ”です。蔵元さんから仕入れた本格的な日本酒や新進気鋭のブルワリーが手がけるクラフトビール、ナチュールワイン、オリジナルの酎ハイなどが飲めて、販売もしているところがポイントですね。
『Quarter Room』は、“アートとカクテルの融合”がコンセプトです。古今東西の作品をテーマに、さまざまな味わいの一杯を手がけています。店内ではアートの展示も行っていて、その作品の世界観をカクテルで表現することもありますね。僕がずっとやりたかったことを体現したんです。
―野村さんがカクテルを作る際に意識していることはなんですか?
“色を混ぜるように味を重ねていく”ですね。お肉と赤ワインのように色が近しいものは相性がいいんです。また、甘い香りを引き立てるなら、苦味のような異なる要素を加えるといい。その考え方は色彩学にも似ていて。具体例を挙げると、“きゅうり”に関するアート展示の際に、それをテーマにしたカクテルを作ったり。きゅうりのジュースとジンをかけあわせるのがベーシックなやり方ですが、僕はそこに色が近いキウイと、補色の関係にある黄色のマンゴーのフレーバーを加えてみて。そうすることできゅうりの風味が引き立つんです。
―『Quarter Room』ではさまざまなコラボレーションを行っているのも印象的です。
“ROOM”をキーワードにしたコラボ企画を行っています。例えば『HIJACK ROOM』では、友人のバーテンダーや飲食店の方が1、2日ほどカウンターに立って、『Quarter Room』を“ジャック”してもらいます。大阪の人気店『KARUDA』や台湾のバーシーンで注目されている『unDer lab』など、コラボレーション相手もさまざまですね。
また、数日間限定で若手アーティストの作品を展示する『DIVISION ROOM』という企画も行っています。世田谷代田の近くにある環七通り沿いにはライブハウスやギャラリーがいくつかあるので、音楽やアート関係の方も多くて。そのような地域の繋がりを大事にしたい思いもあります。
それ以外にもポップアップレストラン『台湾屋台Woo』や、無添加の豆乳を手がける石橋和典くんを招いた朝食イベントを行うこともありました。友人やスタッフの繋がりを辿って、さまざまなコラボ企画を考えていますね。
―店舗作りのこだわりはありますか?
カウンターの作り方ですね。後ろに壁や棚がある一般的なバーとは異なり、空間全体を見渡せる“劇場型”に設計してもらいました。空間の中心にいるバーテンダーの所作を見ながらお酒を飲めるのでエンターテインメント性が高いんです。逆に言うと四方八方からお客さんに見られるので、こちらとしては「猫背にならないように」と常に気が引き締まりますね(笑)。
また、カウンターの位置をやや低めにしているのもこだわりです。身長にかかわらず作業しやすく、誰でも立ちやすい高さを計算した結果ですね。
バーテンダーの仕事を細分化して再構築し、拡張していく
―『Quarter Room』で今後やってみたいことはありますか?
お昼時はお店に入ってすぐの“キオスク”という物販スペースを活用していきたいです。焙煎技術を持っている友達にオリジナルのコーヒーを淹れたり、販売してもらうようなイメージですね。あと、僕は香りを調合する調香師としても活動しているので、オリジナルのお香や石鹸なども販売してみたいです。
また、キッチン設備をより充実させてフード系の企画にももっと力を入れていきたい。例えば、夜にカクテルと料理のペアリングのコースを提供するようなイベントを考えています。
―今後コラボレーションしたい下北沢や世田谷代田のお店はありますか?
『drink & mood mou』や『Salmon and Trout』などのバーと交流があるので、今後何かイベントができたら嬉しいですね。あとは古着屋のような異業種とコラボレーションするのも面白そうだなと。夜に下北沢から世田谷代田へ足を伸ばす人はまだ多くない印象なので、そういった交流を通して“わざわざ来てもらえる”場所を目指していきたいです。
―野村さん自身がこれから“実験”していきたいことはありますか?
常に新しい物事を産み出していきたいなと。バーテンダーは“飽き性”という話を同業者の友人とよくしますが、世界的に見ても、カクテルの作り方から味、お店の作りまで、めまぐるしく変化しているんです。そういった潮流を敏感に察知しながら、常に新しい可能性を探究し続けたいですね。
また、僕がやっている調香師やコンサルティングは、どれもバーテンダーとして身につけたスキルの延長線上にあるんです。“香り”に注目したのはカクテルを作る上で欠かせない要素ですし、「このコンセプトのお店ならどのような設備が必要か」「カウンターの高さはどれくらいが適切か」などのロジックは僕の経験を突き詰めて言語化や数値化したものです。バーテンダーの仕事を要素ごとに細分化して再構築し、拡張していく。僕の仕事は全てそれに尽きると思いますね。