近年、コミュニティの在り方やそのサポート方法などが世界的に注目されている。そんな時代の中、ミカン下北のワークプレイス「SYCL by KEIO」に拠点をおくAYWD株式会社(エニウェアドア、以下、エニドア)は「機会が『想い』を持つ人の元へ」という事業ビジョンを掲げ、人々が学び教え合い、意志が育まれる場所を広げていくべく、下北沢から対話型共創コミュニティの企画開発支援をはじめている。そこで今回は同社CEOの笹原哲さんに、コミュニティづくりへの想い、下北沢で起業した理由、そして今後の展望についてお話をうかがった。
今、コミュニティのあり方が見直されている
—対話型のコミュニティが注目されている理由は何でしょうか?
注目されているかはわかりませんが、お客様と対話をする中で、私の中では「回帰した」というニュアンスが近いと捉えています。今まで世界各国でさまざまな考え方やテクノロジーを起点にコミュニティが作られ運営されてきましたが、アメリカでの視察の経験も踏まえ、我々は体温を感じられるリアルな関係性を起点にすることが人には大切だという考えに至り、その重要さが見直されていくという仮説を持ちました。その考えを持ちながらさまざまなお客様と対話をする中で、まさしく「手応え」や「手触り感」のある関係性を求めていることがわかりました。
—コロナ禍にさまざまな物事が見直されましたが、コミュニティにも変化はありますか?
本質的には変わっていないと考えています。どちらかといえば、ツールは早く進化できたけれど、それに社会の感覚が追いついていない。例えばツールが進化したことで地理的・言語的な壁がなくなり、働き手の実態に合わせて業務ができるようになったこともあります。一方で、会ったほうがスムーズな場面なのに、ツールに引っ張られてリモートワークをしているケースなども多いのではないでしょうか。ツールが大きく先行してしまった中だからこそ、大事なのは、ツールの進化を捉えつつもコミュニティの実態を踏まえて、参加者が自然体でいられることだと思います。
「究極の第三者」の存在が可能にする、対話型共創コミュニティ
—エニドアについて教えてください。
事業内容として「ダイアロジカルコミュニティ(対話型共創コミュニティ)」を提唱しています。法人や自治体に向けて、人の手で温もりのある対話を大切にしたコミュニティの立ち上げ・運営・成長支援を行うサービスです。
これまでは企業がコミュニティを所有し、会員数を集めて告知やクーポン配布などに活用してきました。“コミュニティ”とは呼ばれているものの、実際は“メディア”として使われているのが現状です。この構造は、SNSでも変わりません。結果、会員数などの数字の評価軸が先行し、コミュニティに参加している人の顔や温度感が伝わりにくくなっています。そこに課題意識を持っていたので、オンラインでもリアルでもきちんと人と人が「想い」でつながれるコミュニティの仕組みをつくりたいと思いました。それが、ダイアロジカルコミュニティです。
—「人の手のぬくもりある対話」を重視するのはなぜでしょうか?
私のキャリアは営業から始まってエンジニアに転向し、その後、プロダクト開発や組織開発にに携わってきました。そうした経験からわかったのは、テクノロジーにも人肌がないと成立しないということです。
テクノロジーをDXという考え方で活用していくことは、効率化には有効であっても、新しい価値を生み出したり、人と人を気持ちよくつないだりすることは決してできません。コミュニティには参加者の想いや熱量が欠かせないのです。想いを紡ぎ機会へ繋げ、機会を意志に育むために、テクノロジーを手段として活用しながら、人にしかできない価値を最大限発揮していけることを何よりも大事にしたいと考えたからです。
—ダイアロジカルコミュニティと、従来コミュニティの一番の違いは何でしょうか?
「コミュニティリエゾン」という役割の存在です。前提の話にはなりますが、コミュニティに対して“マネジメント”という言葉を使うことに違和感があります。参加している人たちは管理されたいと思っていないのに、間を取り持つ人がコミュニティマネージャーと名乗ってしまうと、まるで中心にいるかのように錯覚され、当人も次第に権限があるかのように振る舞ってしまいますし、実際にその状況の経験もしました。社内ではそのような考えに陥らないよう、コミュニティリエゾンという間を取り持つ人ということを意識できる言葉をつくりました。
ちなみにリエゾン(Liaison)の意味は「つなぎ役」ですが、単に無機的に繋ぐのではなく、それぞれの内部にまで入り込み、個別の事情を鑑みて丁寧に有機的に繋ぐというニュアンスを持っています。つまりコミュニティリエゾンは、管理者でも単なる連絡役でもなく、さまざまなコミュニティの内に踏み込み溶け込み、参加者それぞれの事情を把握し鑑みたうえでつなぎ合わせる役割なのです。
—コミュニティリエゾンがいるメリットとは?
コミュニティに関わる参加者それぞれが、自然体でつながり合えることです。これはかなり大事なポイントです。例えば企業主体のコミュニティでは、参加する人は基本的に企業を意識します。
しかし第三者のコミュニティリエゾンがコミュニティのモデレーティングをする立場であると、企業も個人も対等になるためお互いがお互いのままでいられます。すると共通の目的に集中できるだけでなく、コミュニティの硬直や破綻を防ぐことにもつながります。
コミュニティリエゾンは究極の第三者です。コミュニティを心地よく在るようにするという目的は持ちますが、コミュニティ自体のビジョンに対しての当事者ではないからこそ、いつでも仲裁に入ることができます。極端な表現ですが、コミュニティリエゾンがコミュニティのビジョンに対して思想を持った瞬間に成立しなくなるので、黒子の極みといえるかもしれません。
—コミュニティリエゾンがその価値を発揮した事例を教えてください。
例えば現在、ある企業と学生をつなぐコミュニティづくりに取り組んでいます。そのコミュニティは「スポーツ栄養学を学びたい大学生アスリートたち」と「栄養やコンディショニングの大切さを広く伝えたい大学教授」、そして「運動時や日常生活のコンディショニングからサポートしたい企業」という三者が参加しています。
運営における企業のサポートがあると、ともすれば主従ができやすい関係になってしまいますが、コミュニティリエゾンがいることで学生は自分たちの想いを忌憚なく語ることができ、ただ知識を得るだけで終えるのではなく、部活動や日常生活に落とし込むにはどうしたらいいかを本気で考えてくれています。その熱量は、企業の担当者の目の色を完全に変え、さらなる事業拡大や生活者への価値貢献につながると確信していただけました。講師をしてくださっている大学教授の先生にも「この中から将来この分野で活躍する人が出るのでは」と言っていただいているほどです。
また別のメディア関係の企業に対しては「物事が伝わっている手応えを取り戻したい」という課題の解決に向けて提案を重ねています。SNSなどでの単純な集客ではなく、もっとコミュニティに関わる人を巻き込んで、同じテーマを語り合い、共感する人を増やしていく。近いようで遠くなってしまったことを丁寧に行える環境を構築することで「コミュニティとつながった」という感動の声をいただいています。
—企業がユーザーを囲い込み動かす、というコミュニティづくりとは概念が全く違いますね。
コミュニティを誰かの持ち物にして、ユーザーや顧客として囲い込んでしまうと、世に開かれず排他的になり共創は生まれません。しかし、目指したいビジョンやテーマが同じ立場として共有できているのなら、企業や参加者個人は立場も越えて協力し合うことができます。けれどこれは、ユーザーや顧客という言葉を使っていては行き着かない視点なので、我々はコミュニティに関わる人を、そして関わる企業ですら「参加者」と呼んでいます。コミュニティリエゾンがそうしたしがらみを取り払うので、コミュニティをみんなで応援できる構造になるのです。
人の想いが肯定されるコミュニティづくりを目指して
—コミュニティづくりの領域で起業しようと思った理由は何でしょうか?
祖父が会社経営をしていた影響で、高校ぐらいから経営者になりたいと漠然と思っていました。ただ高校時代は成績も悪く、その夢を語っても周りには真剣に取り合ってもらえませんでした。そんなことが続き勉強に身が入らず、大学受験に失敗……。けれど浪人時代の先生が、私の話を「面白い」って聞き入ってくれたんです。ただそれだけなのに、やっと自分の居場所を見つけられたような気がしました。そんな経験から、人の想いややりたいことを応援できる仕事をしたいと思うようになりました。
また、コミュニティについては大学時代に海外留学するほど本気で取り組んだストリートダンスが縁となって、世界規模でチャレンジをし始めたダンスコミュニティの日本支部を任せてもらえることになりました。
その時に行ったツアーやイベントなどの活動を通じて、参加者のダンスや価値観がアップグレードされていくのを見てきましたし、何よりも僕自身が救われた面もあります。そんな喜びと感謝も含め、起業するならコミュニティの領域でやりたいと、さまざまな経験を通じて出会った人との対話から「想い」を「意志」へと成長させてきました。
—貴社のビジョン「存在の肯定が勇気を生み、勇気が挑戦を生み、挑戦が世界を変える。」について教えてください。
端的に言えば「想いでつながる」という意味です。例えば、日本の漫画文化もひとつのコミュニティから始まったと考えています。有名なのがトキワ荘で、そこには手塚治虫や赤塚不二夫といったそうそうたるメンバーがいました。けれど世の中は“漫画なんて”という時代。それでも彼らはお互いに助け合い、想いと意志を込めて漫画を描いていました。そういう信頼関係の中で対話し合えたからこそ、日本の漫画が世界を貫く文化にまで発展したと考えています。先ほど申し上げたように、私自身も「想い」が肯定されたことで「意志」に変わりダイナミックにチャレンジする勇気とパワーが出た実体験があります。好きという価値観や想いが肯定し合える関係性がコミュニティの大事な起点になると考えて、ビジョンに据えました。
誰にでも居場所がある。ありのままでいられる街、下北沢の魅力
—下北沢にはいつ頃から縁があるのでしょうか?
下北沢は高校生の頃から通っているので思い入れの深い街です。20年近くお世話になっている美容院もあって、大学合格や結婚の報告をすると毎回店主さんに「飲み行くぞ」と渋いお店に連れて行ってもらいました。そんな具合に、下北沢のいろいろな人たちと関わってきました。また近年では、下北沢は人を受け入れる幅がすごく広がったイメージがありますし、少し前の「タイムアウト東京」の記事では『世界で最もクールな街7位』になっていましたね。一昔前は、子育てできるイメージは全然なかったんですけど、今はファミリーも増えているみたいですね。
—なぜ下北沢で会社を設立しようと思ったのでしょうか?
好きな街、というのが一番の理由です。なぜ好きなのかというと、誰にでも居場所があるからです。どんな人に対しても排他的ではなく「ここにいていいよ」と受け入れてくれる感覚があります。だからさまざまなカルチャーが存在し育ちやすいのかもしれません。古着、バンド、演劇、もしくは飲んだくれの街……。コミュニティは本来、どんな人でも肯定されて自然体でいられるのが大事だと思うので、起業するならそういう街を選びたいと考えていましたし、そういう街を歩きながら色々な人から刺激を受け発想をもらい、事業に活かしていきたいと思いました。また、下北沢という街に育ててもらった分、恩返ししていけたらという想いもあります。
—実際に設立してみていかがでしょうか?
僕は人と会うのは大好きなのですが、オフィスに行って仕事をするみたいな感覚は嫌いです。ライフスタイルとして仕事をしたいので、家を出てから会社に行くまでの気分は変わらないし、仕事が終わってから家に帰るまでの気分も変わりません。下北沢という街はそういう気持ちでいられるようにしてくれるので、とてもありがたいですね。
—下北沢の方々との交流は、コミュニティづくりにどう影響していますか?
下北沢の方々から、人のつながりの大事さみたいなものをたくさん教えていただいています。特に経済合理性だけではない部分ですね。さっきお話した美容院の店主さんは、この取材撮影で突然お邪魔したのに、快く協力してくれました。そういうつながり方を、僕らがつくるコミュニティでは参加者全員に体験していただきたいと考えています。そういう意味では、コミュニティのひとつの理想が下北沢にあると思っています。
—SYCL by KEIOについてはいかがでしょうか?
自然体で話せる人が集っているのはすごくいいですね。SYCLの想いや目的への共感がベースにあるので、会社以外の入居者ともひとつになりやすい感覚があります。子どもを連れてきても文句を言う人はいないと思います。入居者同士の集まりも多いので、僕も周りに声をかけて「松茸ハンティング」というイベントを企画しました。そういう風土や雰囲気をひとつのコミュニティとするなら、SYCLはとてもいい場所だと思います。
実験を重ね、コミュニティリエゾンを新しい職業に
—今後の展望を教えてください。
ダイアロジカルコミュニティの社会実装を通して、まずは誰もがそれを体現したくなるような価値を創っていきます。その状況が実現していく中でより良いコミュニティ作りを支援できるシステムをつくっていく予定です。企業とコミュニティのマッチングは膨大なので、そこをきちんとつなげられるシステムがあれば多種多様なコミュニティが生まれ、コミュニティリエゾンの仕事が増えていきます。
そうしてYouTuberやInstagramerのようにコミュニティリエゾンがひとつの職業として成立すれば、好きなコミュニティのためにパフォーマンスを発揮したいと考える人が食べていける世界ができるんです。そういう流れを生み出して、日本だけでなく世界のコミュニティにとって良いアップデートになるようにしたいと考えています。
—最後にひとことお願いします。
今まさに、僕らの理想や思想で本当にコミュニティが成立するのか実験中です。ダイアロジカルコミュニティを通してコミュニティ運営はもっと進化できるし、もっと高いレベルになると考えています。みなさんに「おー!」って驚いていただけるようなものを、ここからたくさん発信していくので楽しみにしていてください。