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本棚を背負ったら、見えてきたこと。下北沢は「一歩踏み出す舞台が整っている」場所

透明な扉を付けた木箱に本を入れ、背負って歩く人がいる。『歩く本棚』を企画した、堤聡さんだ。堤さんは、『歩く本棚』のほか、各地の無人駅を間借りして本屋にする『無人駅をめぐる本屋』、アパートを図書館に改造する『人んち図書館』と、“本”に関わる様々な企画を立ち上げ、実行している。堤さんはなぜ、本棚を背負うことにしたのか? そして、堤さんが思う本の価値、これから挑戦したいこととは? 堤さんが仕掛ける実験について、話を聞いた。

本は“大人の生き方サンプル”

—『歩く本棚』とは、どんな活動ですか?

ただ、“本棚を背負って歩く”だけの活動です(笑)。目的は本の販売ではなく、“自宅にある本を運んでみる”のがメイン。「私物を“見える化”して外に出したら、どんな変化が起きるのかな?」って、リアクションを観察するための実験装置というか。

―なにか実現したいことがあるというより、興味が先にある活動ということですか?

そうです。この活動を通して街を変えたいとかではなく、すごく個人的な実験です。

―なにがきっかけで、『歩く本棚』を思いついたんですか?

2020年の4~5月頃、電車に乗ったら、猫をケージに入れて運んでいる人がいたんですよ。ケージって透明なんで、猫の顔が見えちゃうじゃないですか。すると、ただ猫を運んでいるだけなのに、電車の中でみんなが「あ、猫だ」と癒されている。それが面白いなと思ったんです。その人は「猫を動物病院に連れて行く」とか、個人の事情で運んでいるだけで、別にみんなに見せて自慢したいわけじゃない。それなのにまわりが癒されるってすごくプラスの効果だし、電車内が動物園的な空間になっているのを見て「ミニマムな公共空間は、個人でも作れるんだ」という発見があって。“中身の見える透明なケースで私物を輸送したとき、周囲になにが起きるのか”観測してみたいと思ったんです。この観測するための装置が、『歩く本棚』です。

―着想から、すぐに行動に移したんですか?

いえ、実際に作ったのは2021年1月頭です。着想してから作るまでの間になにをしたかというと、「やっぱり本棚背負ったほうが良いと思うんですよ!」みたいなことをまわりに言いまくってました(笑)。でも、みんなハテナマークで(笑)。唯一、世田谷区で詩の出版や古書販売をしている『七月堂』の方だけが「めっちゃ笑わせられたわ」と言ってくれたんです。「おもしろい」、「笑った」とかではなく、「強制的に笑わせられた」みたいなニュアンスで。そのくらいの概念だったら、やっぱり実用化したほうが良いのかなと。で、1月に『七月堂』さん主催の催事があったんで、そこに間に合わせようと制作しました。

―実際に背負って歩くようになって、反応はいかがですか?

反応は、なかなか感じられなくて(笑)。奇抜なことをやっているのでもっと声かけられるかと思ってたんですけど、全然声かけられないんですよ。でも冷静に考えたら当たり前の話で、犬の散歩してるからって、みんな声かけないじゃないですか。犬や猫が好きだからって、声をかける人ってごく少数。って考えたら、本棚を背負ってるからって本好きが声をかけてくるわけではない。ただめちゃくちゃ反応が返ってくる場所もあって、ゲストハウスとか、個人経営のカフェとか……行った瞬間にぶわーっと反応が返ってくるところはあります。やっぱり、面白がる人が集まる場ってあるんですよね。だからまとめると、「路上でいきなり声をかけられることはめったにないけど、変わったお店に行くと忙しいくらい声かけられる」です(笑)。

―持ち運ぶ対象として、本を選んだのはなぜですか?やはり、本が好きだから?

実は、「本が好きだから」という感覚は無いんです。というより、“ツールとしての本”にすごく興味を持っているんです。

―ツールとしての本?

本って、著者の数だけ思想があるじゃないですか。起業した人とか、あまり一般的ではない生き方をしている人とか。なんというか、本は“大人の生き方サンプル”のように感じたんです。”仕事百貨店”というか……人の生き方に直接的に触れることができるのが本なので、高校生とか大学生とか、就職する前の若い世代にとってすごく良いツールなんじゃないかなと思っていて。学生さんの中には、なかなか自分の適正や興味を分析しきれないまま就職してしまう人もいる気がしていて、そういう人たちが就職するまでに“自分の好き”に気付ける機会や装置として、本が必要だと思ったんです。コロナ禍もあって停止中ですが、無人駅に本屋を出す構想もあります。無人駅に本屋があれば、通学途中に半強制的に本をパラパラめくる機会ができるかなと思って。

自分自身をオープンアクセスできるようにする

―先ほどお話にあった「ミニマムな公共空間は、個人でも作れる」という話について、詳しく教えてください。

本って、家にあるだけだと“ただの本”ですよね。カバンの中に本が入っていても、誰も気付かないから“ただの本”。でも、中身が見えるようにした途端に、まわりの人が見てなにかを思ったりできるんです。つまり、私物を透明の箱に入れた瞬間、“公共物っぽく”なるんです。まわりが「あの人、本を持ってる」と認知できる。つまり、社会資本に変化するんですよね。僕は、社会資本っていろいろあると思うんです。インフラもそうだし、広義で言えば個人が受けてきた教育もそう。本の場合、見えてないだけで、自分も近所の人も家に保管している。それを透明な箱に入れて街に出した瞬間、みんながアクセスできる社会資本に変化するんです。

—誰もがアクセスできる社会資本化することで、コミュニケーションが変化するかもしれないし、見て楽しんだり興味を持ったりするかもしれない。関わり方が広がるということですね。ということは、この活動のコアは”歩く”ことであって、見せるものは本ではなくても良いんですね。

そうです。『歩く本棚』で本好きのコミュニティを作りたいとかではなく、コモンズ(共有地)として“自分”を開示することが目的ですね。自分自身をオープンアクセスできるようにする、というか。「私、こういう本を背負ってる人です」ということが分かれば、まわりからアクセスできるようになるので。

―本の販売を主目的にしているのではないということですが、堤さんは古書販売の資格を取得されていますよね。なぜですか?

厳密には、古書買取には資格がいるけど販売にはいらないんです。でもこの活動をやる以上は「ちゃんとしないといけない」という想いがあって。この活動は、ぜひマネしてやって欲しいと思ってるんですよ。それもあって、堂々と法令的な段取りを踏むことでほかの人がマネしやすくなるかなと。マネした人が路上販売して逮捕されちゃったりしたら絶対広がらないし、辛いだけなので。それもあって、「この要点は押さえてね」ということを明確にしておきたくて『歩く本棚』のフォーマットや規則を整えているんです。具体的には古物商許可と道路占用許可ですね。

 

街によって異なる、『歩く本棚』への反応

―下北沢に対して、どんなイメージを持っていますか?

寛容性がある街だな、と感じます。下北沢は、若い人がチャレンジしていることに対して“頭から否定する”空気感が無いなと。下北沢は50代くらいのオーナーさんが、若い世代を見守ってくれている雰囲気があります。地域によっては、若い世代に対して排他的なところもあると思うんです。でも下北沢はそうではないからこそ、私も『歩く本棚』の活動をしやすいですね。たぶん、ここではいきなり怒られるようなことは無いだろうという安心感があって。私以外の人にとっても、試しになにかをやってみることに対して心理的な安全性がすごく高い街なのかなと思います。
あと個人店が多いからこそ、とっかかりがあれば“誰かと組んでやる”ことをしやすいのかなと思います。いろんな属性の人が許容されているので、一歩踏み出すための舞台がたくさん用意されているのかなと。下北沢に限らず、都市圏で感じるのは「偶然性を楽しんでくれているのかな」ということ。SNSを見ていると、強制的にAIで判断されたおすすめ商品が出てくるじゃないですか。『歩く本棚』も、偶然、強制的に本が現れるんですよ。

—都市圏は偶然性を楽しんでくれるんですね。では、地方ではどんな反応がありますか?

単純に、「モノが届く」ことへの喜びが強いのかなと思います。もちろんネットショップで購入することはできるんですけど、現物を見れたっていう喜びがあるのかなと。先日、徳島に『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』っていう本を持っていったんです。あまり流通していなくて、個人で取引しているような独立系書店にしか無い本で。そしたら「まさか徳島で現物を見れるとは思ってなかった」っていう反応があったんです。地方だと、「まさかあのアーティストの公演を見れるとは!」みたいな驚きがあるじゃないですか。それはアーティストだけじゃなく、本も同じなんだなと。

―地方と都市圏で、明確に反応が分かれるんですね。

それから、『歩く本棚』を背負っていると、そこに“どんな属性の人が住んでいるか”によく気付きます。自転車に乗ると、今まで気にならなかった坂道に気付いたりするじゃないですか。それと同様、本棚を背負っていると街にいる人の属性に敏感になるんです。具体的に言うと、これを背負っている私自身を評価してくれる人が多い街と、本棚や本を褒めてくれる人が多い街に二分されます。

―背負っている堤さん自身を評価する人が多いのは、どんな街ですか?

“パフォーマー”が多いコミュニティに、そういう傾向があると思います。愛媛県の三津浜に行ったときは特に顕著で、徹底的に私の行為自体に言及されました。誰も、本に関する感想を言わなかったんで面白いなと思って。調べてみたら、アーティストの移住者が多い街だと分かりました。特に、昔ダンスや演劇をやっていたような、“パフォーマー”が多い街だったんです。

―居住者自体、自分を使って表現をする人が多かったんですね。

そう。なので評価する対象も、人なんです。

―一方の、本について感想を言ってくれる人が多いのは、どんな街ですか?

“パフォーマー”ではなく、“クリエイター”が多い街ですね。同じ愛媛県でも、例えば松山の中心街。正岡子規が育ったということもあって、今でも俳句を投稿できるポストがあったりする街なんです。ここでは、私自身のことには見向きもせず(笑)。持っていった短歌の本を読んでくれるような人が多かったですね。

―「なんでこういうことしてるの?」ではなく「どんな本持ってきてるの?」という反応だった?

そうなんです。「なに積んでんの?」という反応で。面白かったですね。下北沢でも、クリエイターが多い街ならではの経験をしました。以前、BONUSTRACKで『BOOK LOVER’S HOLIDAY』というイベントに参加したことがあるんですよ。『歩く本棚』を持って行ったら、ほかの出店者から「こういう道具を使えば自立安定するかもよ」とキャンプ用品を教えていただいて。思いついたことを未完成だったとしても外に出してみると、こうやってヒントを貰えるんだなと思いました。

人と人がすれ違うことの効用を測定したい

―今後の展開についてお伺いします。今、新しく取り組んでいることはありますか?

新しく、『歩く写真展』を作りました。自宅にある本以外のなにかを外に出してみようということで、飾っていた写真を持ち出そうと。私はいつも部屋で見ているけど、他の人にとっては初めて見る写真なわけで。となると、私物を外に出すだけで2回目の価値が生まれるのかなと思うんですよね。世田谷在住のカメラマン、ゆうばひかり氏の作品を背負ってみました。

―『歩く』シリーズの拡張をしているんですね。

本や写真以外にも、『歩く〇〇』を作れたら別の面白さが出てくると思います。あと、「人が街を歩いて、すれ違ったり偶然出会ったりすることにどんな良さがあるのか」に関する研究もやらなきゃと思っています。「人が街を歩くことで周囲の収益がどのくらい上がるのか」っていう都市計画の論文はいくつもあるんですけど、単純に「人が街を歩く」こと自体がどんな効果を生み出しているのかを検証した論文はまだ無いみたいで。心理学なのか、都市計画なのか、行動経済学なのか分からないんですけど、「人がなんの目的も無く、街を歩いていたときにどんな影響を及ぼすのか」の検証は学術的にやりたい。

―お母さんが抱いている赤ちゃんとか、可愛くてついつい見ちゃいますもんね。

そう。赤ちゃんを連れて歩いているだけなのに、それによって癒される人もいるし。なにも考えていないようで、歩きながら人は意外とまわりを見ているんですよね。「人が街ですれ違うこと」自体の効用を、学術的に測定してみたい。それができたら、「ただ生きているだけでも最高だよね」「あなたもこの街に存在していてね」と、同じ街に住むご近所さんに堂々と伝えられますから。

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取材・文:堀越愛 撮影:岡村大輔
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歩く本棚
本棚を背負って街を歩く、ということをしています。公共性についての社会実験をテーマに、京王線・井の頭線沿線に出没。時には、アート作品を背負う「歩く写真展」として写真を背負っている日も。最近では、個人書店の移転に同行して、新店舗のある隣町まで本を背負って歩く「歩く引越し」「本屋の里帰り」企画も実施。現在「歩く本棚」は3号機まで完成。
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