トップ > 記事 > 挑戦に寛容な街・下北沢で、“無限の魅力”を持つ将棋を起点に考える可能性とは
Article

記事

挑戦に寛容な街・下北沢で、“無限の魅力”を持つ将棋を起点に考える可能性とは

2023年10月、下北沢・一番街商店街に「KAI将棋教室」が誕生した。「地元の方に長く愛される教室」を目指し、毎週土曜日子ども向けに開講している将棋教室である。

「KAI将棋教室」を運営するのは、かつてプロ棋士を目指していた甲斐日向さん。また、下北沢校の室長を務めるのは長年子どもの療育に携わってきた細谷優人さんだ。彼らが教室開講の地に下北沢を選んだのは、なぜなのか。また子どもが将棋を学ぶ意味とはなんなのか。下北沢で開催されているイベント『シモキタ名人戦』のエピソードも交えながら、話を聞いた。

学んだ技術を伝えるため、将棋教室開講へ

—甲斐さんはかつてプロ棋士を目指していたそうですね。「KAI将棋教室」創設にいたるまでの経歴を教えてください。

甲斐:12歳のころに「奨励会」というプロ棋士養成機関に入り、そこでプロを目指していました。ただ残念ながらプロになることはできず、26歳で夢を諦めることになって。その後将棋教室を開講し、今にいたります。

—プロを断念したタイミングで、将棋教室を開こうと思ったのはなぜですか?

甲斐:14年間将棋一本で人生を賭けていたので、関係ないことをするより「これまでの経験を活かしたい」と思ったんです。それで、自分が学んできた技術を伝えることにしました。16歳くらいから将棋連盟で講師の仕事をしていたので、“教える”ことについてはもう15年くらいやっています。

甲斐日向さん

—細谷さんは、10月に開校した「KAI将棋教室」下北沢校の室長を務めるそうですね。これまでの経歴を教えてください。

細谷:将棋を始めたのが小4で、プロを目指すにはちょっと遅い年齢でした。なので小6くらいまでは遊び程度でやってたんですけど、大会で優勝するようになって。その後プロを目指すようになったんですが、奨励会を受ける前にプロ行きを断念し1年ほど将棋から離れていたんです。でも通っていた翔風館という教室から「将棋のコーチをやらないか」と言われて。高2から講師の仕事をするようになって、今年で8年目です。並行して、障害のあるお子さんに生き方やコミュニケーションを教えたりする「療育」という仕事もしていました。

細谷優人さん

—プロを目指すには小4からでも遅いとのことですが、プロになる方はどのくらいで始めるものなのでしょうか?

甲斐:小1~小2くらいに始めて、5~6年生では大会で実績を出しているような子がプロになることが多いです。プロになるためには奨励会に入る必要があるんですが、そうするとアマチュアの大会には出られなくなるんですよ。なのでプロを目指す子は、中高生の大会には出なくなります。

—だいぶ早い時期にプロ行きを決めるんですね。となると、普通の学校生活は送れないのではないでしょうか?

甲斐:そうですね。僕が小学生で奨励会に入ったころは、対局日が平日だったんです。なので義務教育のはずなのに、学校を休まないといけなくて。昔は「人である前に棋士であれ」という風潮があって、特殊な世界でした。今は変わって、土日に対局するようになったんですけどね。少しずつ、将棋界も変わってきています。

1軒のバーからはじまった『シモキタ名人戦』

—おふたりは下北沢で開催されている『シモキタ名人戦』にも関わっているそうですね。どんなイベントなのでしょうか?

甲斐:日本最大級の「ボードゲームのフェス」みたいな感じですね。将棋以外にもいろんなボードゲームがあって、街全体で盛り上げているイベントです。

細谷:将棋や囲碁など、業界を飛び越えたボードゲームのイベントはほかにはないと思いますよ。

2023年『シモキタ名人戦』チラシ
参照:https://shimokitazawa-east.com/archives/7740

—名人戦自体は2012年からスタートしていますが、携わるようになったのはいつ頃からですか?

甲斐:2021年から携わるようになりました。将棋関係の知り合いから「こども将棋名人戦の担当者がやめてしまったので、お願いできないか」と声をかけてもらったのがきっかけです。

『シモキタ名人戦』では、将棋以外にも囲碁やバックギャモン、ポーカーなど様々なボードゲームが行われる。写真はチェスの様子
参照:https://shimokitazawa-east.com/archives/7740

—なぜ下北沢で「シモキタ名人戦」をやるようになったのか、ご存知ですか?

甲斐:このイベントを立ち上げたのは、下北沢にあるロックバー「ネバーネバーランド」の店主・下平さんという方です。元々このロックバーでは将棋を指す人が多く、下平さんは「みんな将棋好きだな」と思って見ていたらしいんですよ。お客さん同士で将棋を楽しんでいる店はほかにもあったようで、「じゃあ誰が一番強いかを決めよう」とはじまったのが『シモキタ名人戦』だと聞いてます。

—将棋関係者が普及のために立ち上げたのではなく、バーから生まれたイベントなんですね!

甲斐:そうなんですよ。個人戦ではなくお店ごとに代表者を立てて、店同士で戦おうということになったそうです。最初は今のように子ども部門などはなく、「飲み屋のおじさんたちのノリ」だったそうです(笑)。

—名人戦で、なぜ将棋以外のボードゲームもやるようになったのかはご存知ですか?

甲斐:下平さんが「バックギャモン(盤上に配置された双方15個の駒をどちらが先に全てゴールさせることができるかを競うボードゲーム)」のプレーヤーだからだと思います。下平さんは、実はバックギャモン世界大会で優勝するような方なんですよ。下平さん自身が将棋以外のボードゲームで遊んできた経験があるし、元々いろんなゲームが好きだったんだと思います。

—名人戦に関わるようになり、なにか新しい発見はありましたか?

細谷:これまではなかなか他業種とのコラボをすることがなかったので、そこに面白さを感じました。あと、ほかのブース参加者がこども将棋の様子を見学しにきて「こんなに真剣にやっているんだ」みたいに感銘を受けてくれたりして。そういう光景を見れるのは素晴らしいですし、将棋の普及にも繋がっているなと思います。

「こども将棋名人戦」の様子
参照:https://shimokitazawa-east.com/archives/7740

多様性を重んじる街で将棋を教える

—「KAI将棋教室」は都内の様々な場所で教室を開いていますよね。新しく開講する場所に下北沢を選んだのはなぜですか?

甲斐:何度か『シモキタ名人戦』に関わらせていただく中で、「これだけ盛り上がっている場所で教室をやらない」ことに違和感を抱くようになって。それで、細谷さんに室長を任せて拠点を持つことを決めました。今はチラシを配るなど地道に告知をしつつ、体験会に来ていただく流れを作っています。

細谷:先日下北沢校で開催した体験会には、10人ほどのお子さんに来ていただきました。

—体験会に来たのは、初めて将棋に触る子たちだったんですか?

細谷:7割は初めての子でした。最近は「どうぶつしょうぎ(盤面や駒の動きを簡略化した子ども向けの将棋)」を導入する学校や学童が増えていて、それでなんとなくは将棋を知ってくれていて。そこから教えている感じですね。すごく楽しそうにしてくれていたので、これから長く続けていけたらなと思っています。

—教室運営という目線で見たとき、ほかと比較して下北沢はどんな街ですか?

甲斐:勝手なイメージですけど、「受験主義」みたいなものとは一線を引いた街なのかなと思います。子どもの価値を勉強ではかるのではなく、子どもの多様性を重んじる雰囲気なのかなと。街にいる大人の雰囲気を見て、そう感じています。なのでほかの教室ではやっていないんですけど、たとえば子どもを集めて忘年会をしたり夏休みにレクリエーションをしたり……そういう楽しいことができる教室にしたいですね。

細谷:僕は港区光円寺校でも室長をしていて、そちらは都内中心地ということもあり小3くらいで中学受験に向けて辞めてしまう子が多いです。受験が終わってから戻って来てくれる子もいますけど、通う頻度が落ちても小4・小5・小6と続けてくれたら嬉しいなと思いますね。その点、下北沢ではほかと異なる流れが生まれそうで楽しみです。ビジネス街にある教室だと街を巻き込んでなにかすることが難しいので、下北沢では街に出てレクリエーションするようなこともできたら面白そうです。

下北沢校の様子
参照:https://kai-shougi.com/room/shimokita/

—下北沢は子ども向けの教室だそうですね。子どものうちに将棋を学ぶメリットはありますか?

細谷:将棋を勉強していると、「将棋を追求する以上に難しいことはない」とよく言われます。そういうマインドを持てると、なんでも挑戦できるし最強かなと思いますね。

甲斐:将棋はひとりで戦うので孤独だし、全部自己責任ですからね。

細谷:将棋は、弱い=努力不足です。運要素もまったく無いので、「運が悪かった」と言い訳もできないんです。僕自身も、将棋を勉強する中で「これ以上に難しいことはない」というマインドを身に付けることができました。

甲斐:昔の棋士は対局だけでなく、詰め将棋の問題をつくって将軍に献上するのが仕事だったんです。その問題って、今のプロ棋士が勉強のために解くくらい難しいんですよ。問題を解いていると300年前の人と戦っているような感覚があります。将棋って、400年くらいルールが変わってないんです。指した将棋は「棋譜」として残るので、100年後の人が並べて勉強できると考えるとそれも魅力ですね。紡がれていく不変さがあるし、とてもフェア。将棋には無限の魅力を感じています。

“下北沢の人”に感じた寛容さ

—下北沢にはどういう印象を持っていますか?

甲斐:僕は、下北沢にはたまに飲みに来ていました。個性的なお店が多くて面白いなという印象です。僕以上に、細谷さんはかなり下北沢を気に入ったそうですよ(笑)。

細谷:『シモキタ名人戦』をきっかけに下北沢を好きになって、今はこの辺に引っ越す計画を進めています(笑)。下北沢は挑戦に寛大で、応援してくれる街だなと思います。僕は先月まで正社員で療育の仕事をしていて、今月から個人事業主になりました。まさしく挑戦のタイミングにいるので、この環境の中にいることで動きやすくなるのかなと。「下北妄想会議」に参加した際も自分には無かった発想を得ることができたので、この街にいることでインスピレーションを受けられることも期待しています。

—「挑戦に寛容」と思ったのはなぜですか?

細谷:先ほどご紹介したロックバー「ネバーネバーランド」の下平さんがきっかけですね。下平さんと知り合って1週間くらいのとき、当時まだ23歳だった僕に「『シモキタこども将棋名人戦』の運営を任せる」と言ってくれて。小さな大会ではなく、80人くらい子どもが集まるようなかなり大きな大会だったんですよ。それを任せてしまう懐の深さが、「下北沢は挑戦に寛容」と思った大きなきっかけですね。

細谷さんが運営に携わっている大会『昭和信金金庫杯 シモキタこども将棋名人戦』。2023年は11月3日に開催した。
参照:https://ctoeivent.com/showasinnyoukinkohai-2023-11-03/

—「運営を任せる」と言われたとき、プレッシャーではなかったですか?

細谷:いや、むしろすごくワクワクしました。大会自体の運営はこれまでもやっていて慣れているし、この下北沢という場所で行われる大会を任せてもらえるのは「嬉しいな」と。
下平さんは面白い企画を考える力もすごいし、企業の巻き込み方も勉強になります。企業を巻き込んでイベントを作るって、なかなか大変なんですよ。スタッフはほぼボランティアなんですが、その条件でかなりの人数を集める人徳もすごい。尊敬しています。

甲斐:そうですね。イベントをやると、かなりの人数を巻き込むことになりますからね。下平さんは、最初から「大会をこうしたい」みたいにかっちり決めないんです。開催の数か月前から参加できる人だけ定期的に集まって、意見を聞きながら方向を決めていくんですよ。細かいことは気にせず、とにかく「どんどんやってみよう」みたいな人。僕はけっこう「それいくらかかるの?」とか「どんなメリットあるの?」とか言っちゃうタイプで(笑)。下平さんを見ていると、リーダーって「こうあるべきなのかな」と思います。

KAI将棋教室から広がる妄想

—「KAI将棋教室」として今後やってみたいことを教えてください。

甲斐:教室をどんどん増やして、『シモキタ名人戦』のように「どの教室が1番強いか」競う大きな大会をやりたいですね。今までも教室対抗戦をやったことはあって、「〇〇教室の■■くんに勝った」とか「△級の子に勝った」みたいに話しているのを見るとすごく嬉しいんですよ。

細谷:僕は「おじいちゃんになっても将棋を教えたい」と思っているので、それくらい長く続けられる教室にしていきたいですね。

甲斐:本当に良い言葉を聞きました。彼にお願いして良かった……(笑)。

—『シモキタ名人戦』に関して、今後こうなったら面白そうだなと思うことはありますか?

甲斐:もっと外国人が増えたら面白そうだなと思います。将棋や囲碁のような伝統文化は外国の方と相性が良いと思うので、訴求法を考えて広げていけたら面白いかなと。

細谷:僕は、もっとたくさんの子ども達に「こども将棋名人戦」に参加してもらえるようにしたいですね。今は64人が定員で、すぐに埋まっちゃうんですよ。なので運営スタッフを増やして、もっとたくさんの子を受け入れられるようにしたいと思っています。子どもが将棋をやっている間、だいたいの親御さんは待っている時間が暇なので下北沢の街で買い物したり遊んだりしているんですよ。参加者が増えればシンプルに経済効果もあると思うので、そういうことも考えていきたいですね。

—教室や『シモキタ名人戦』とは別で、個人として考えている妄想はありますか?

甲斐:ずっと将棋界で生きてきたので、今後も将棋が長く栄えていくための取り組みをしたいです。棋士は天才クリエイター集団だと思っていて。彼らが輝き続けるためには経済の循環と安定した組織運営が必要です。僕はこのまま10年・20年とちゃんとビジネスを学び、4~50代になったときにそれをお手伝いできたら良いなと思っています。その年代になったら、一緒に修行していた友達が理事になったりすると思うんです。彼らがなんでも相談できる存在になって、将棋界に良い影響を与えられる人になりたいですね。

細谷:僕は個人事業主として将棋のイベンターもやっているので、下北沢でイベントをやりたいですね。「将棋×下北沢」でコラボして、いろんなイベントを企画していきたいです。

Information

取材・文:堀越愛 / 撮影:岡村大輔
KAI将棋教室
KAI将棋教室
将棋を学びたいすべての人を対象とした将棋教室。都内では下北沢のほかに、御徒町・港区光円寺・港区芝浦・港区三田・品川・国立で開講している。 【下北沢校】 ・毎週土曜日/13時~15時開催 料金等詳細はHPで確認を。
Web
https://kai-shougi.com/
Jikken*Pickup_