2022年1月、NANSEI PLUSに「下北沢駅徒歩0分のお酒のテーマパーク」がコンセプトのリカーショップ&タップルーム『TDM 1874 下北沢』がオープンした。同店を運営するのは、横浜で創業150年の老舗酒問屋『坂口屋』。もともと酒問屋だった坂口屋だが、2017年からは醸造事業にも着手。オリジナリティあふれる多彩なクラフトビールを生産しており、TDM 1874 下北沢では自社醸造のクラフトビールや料理を楽しめるほか、日本酒やワインなど多種多様なお酒を購入できる。
TDM 1874 下北沢の店長を務めるのは、坂口屋5代目社長の娘・加藤葉月さん。元々ビールメーカーで働いていたが、下北沢店オープンのタイミングで家業に携わることにしたという。そんな加藤さんに、老舗酒屋が下北沢に出店した理由や、下北沢で開催しているビアフェス、そして今後叶えたいことについて話を聞いた。
父への憧れから、酒を仕事に
―2022年1月に『TDM 1874 下北沢』をオープンするまでの、加藤さんの経歴を教えてください。
新卒でビールメーカーに入り、営業をしていました。お客さんは主に飲食店や酒屋で、自社商品を使って皆さんの課題解決に繋がる提案をするのがメインの仕事でしたね。3年ほど経ったとき、このお店がオープンすることが決まって。ゆくゆくは「実家に戻って仕事をしたい」と考えていたのもあり、会社を辞めてTDM 1874 下北沢の立ち上げから携わっています。
―入社先にビールメーカーを選んだのは、家業を意識した選択だったのでしょうか?
そうですね。父がすごくパワフルな人で、国内外の生産者さんに会いに飛び回ったり、いろんなチャレンジしたりしているのを小さいときから見ていたんです。父に対してずっと憧れというか、素直に「カッコいいな」と思っていて。「いずれは父と一緒に働きたい」と思っていたので、その将来を見据えてビールメーカーに入社しました。大人になってから思い返すと、父は家族旅行に行った先でも様々なことを吸収して商売に活かしていたんです。出店するお店のコンセプトに繋がっていたり、旅行先で食べた料理をお店で出していたり……。父と一緒にお酒を飲むようになって、初めて「そういうことだったのね」という気付きがたくさんありました。
―以前から「お父様と一緒に働きたい」という想いがあったんですね。出店先に下北沢を選んだのはなぜですか?
将来のビジネスモデルまで考えたとき、「ビジネス街より住宅街でお店をやるほうが良いのでは」と思って下北沢を選びました。うちは神奈川県の十日市場にも店舗があるんですが、何十年も通ってくれる方や親子2代で来てくれるお客様がたくさんいらっしゃるんです。その日に家で飲む用のお酒を買いにフラッと来れるようなお店作りをするなら、住宅街にあるほうが良いかなと思って。ちょうど場所を探している時期にNANSEI PLUSの出店者募集を見つけて、公募で入りました。
―下北沢でオープンして、今年で丸2年経ちました。実際に営業してみて、当初思い描いていたイメージとのギャップはありましたか?
住宅街という理由で下北沢を選んだものの、お店は駅前ですし最初は「観光客が多いのかな」と思っていたんです。でも、嬉しいことに予想以上にご近所のお客様が多いですね。土日は観光客が多いんですが、平日はご夫婦とかお子様連れの方がすごく多くて。老若男女いろんな方に、日常の一環としてお店をお使いいただいているのを感じています。うちは商品の入れ替えが多いので、来るたびに違うラインナップになっているような状態なんですよ。だから観光客の方はもちろん、ご近所の方もすごく新鮮に思ってくださっているのかなと思います。
生産者を知るために日本中を訪れる
―ご実家の坂口屋さんは、もともとは酒問屋だったとのこと。数年前から醸造を始めたそうですが、それはなぜですか?
2016年に醸造所ができて、2017年に初めて醸造をしました。酒屋として都内・横浜メインで800店くらいお客様がいらっしゃるんですが、「将来的にお酒の小売りだけでは難しい」と思うようになったのが醸造を始めたきっかけです。酒類業界はどんどん縮小していますし、お酒を飲む方も少なくなっている。そんな現状を受けて、「小売りだけでなく、生産や飲食店経営まで自分たちでできるようになったほうが良い」と考えるようになったそうです。また、10年ほど前に父がアメリカに行ったら、現地ですごくクラフトビールが流行っていたそうなんですよ。まだ日本では流行していなかったこともあって、「これからの時代はクラフトビールが来る」と考えたらしくて。クラフトビールは日本酒やワインとは異なり1年中醸造できますし、そういう意味でも新規参入しやすかったんです。そして、自分たちが作ってみないことには普段お取引している生産者さんの目線に立つことはできない。それらの理由で、自社で醸造所を始めることになりました。醸造長は、13歳から醸造に携わっているイギリス人。季節ごとのビールをつくるほか、2周年などイベントの際にオリジナルビールを作ってもらうこともあるんですよ。
―2周年の際はどんなビールをつくったんですか?
2周年のときは、お店の1階に入っている『料理と暮らし 適温』さんと一緒にビールをつくることになりました。話し合いの中で、「ビールが苦手な方でも飲みやすくて、ガレットやサンドイッチなど軽食とも合わせやすい味が良い」というリクエストをいただいたんです。それで醸造長と相談して、紅茶を使ったビールを作りました。ラベルは適温さんに描いていただいたんですよ。
―先ほど、自分たちが醸造をする側にならないと「生産者さんの気持ちに立つことはできない」というお話がありました。普段から生産者とのつながりを大事にしていると思うのですが、全国の生産者とお取引をするうえで大切にしていることはありますか?
「美味しい」だけですぐ仕入れるのではなく、実際にお会いして、どんな想いで作っているのか、どんなお人柄なのか……それらを知ったうえで、お客様に商す品を販売するようにしています。やっぱり、生産地の雰囲気って行ってみないと分からないんですよね。私たちは収穫のお手伝いに行ったりもするんですが、そうするとお酒ができあがるまでの大変さをより知ることができます。知ると、お客様にも生産者さんのことを伝えたくなるんですよ。
—今まで出会った生産者のなかで、特に印象に残っている人はいますか?
たとえば、ワインの生産者さんのなかに、ぶどうの収穫期は毎日畑で寝泊まりされている方がいるんです。そこまでストイックにぶどうと向き合っている方のお話を聞くと、びっくりしちゃいますよね。それから、ご家族経営の日本酒の生産者さん。蔵でお子さんが走り回っているのを見て、アットホームさを感じました。「こういう家族経営の規模だからこそ、いろんな新しいことにチャレンジできているのだろうなぁ」などと思いを巡らせて。お取り扱いしているすべての生産者さんにお会いできているわけではないので、今後もなるべく現地に会いに行きたいですね。
唯一無二のオリジナルビールが提供されるビアフェス
―クラフトビールは比較的新しい業界だと思いますが、どのような雰囲気があるのでしょうか?
横の繋がりが強く、「みんなで一緒に盛り上げていこう」という雰囲気があると思います。イベントに出展して横並びになると、すぐに仲良くなりますよ。私たちが企画している下北沢のビアフェスにも、全国から生産者を呼んで一緒に企画をしています。
―ビアフェスの企画をされているんですね!
当初は小田急さんの協力をいただいてうち主体でやっていたんですが、現在は主体が商店街さん、運営が私たちという体制でイベントを実施しています。最初はNANSEI PLUSの1階広場で実施していたんですが、徐々に規模が大きくなり、下北線路街空き地を使わせていただくようになりました。4月に行う5回目のビアフェスでは、ブルワリーが9社、カクテル系が1社、合計10社が出展する予定です。
―そもそも、なぜビアフェスを実施することになったんですか?
お店をオープンしたときから「ビアフェスをいつかやりたい」と思っていたんです。下北沢にはクラフトビールのお店がいくつかありますし、いつか「クラフトビールタウンにしたい」とも思っていて。イベントはキッチンカーからスタートし、今は商店街さんのお力も借りてテントを立てて開催できるようになりました。
―初開催のときは、どんなイベントになりましたか?
情報発信もすべて私がやっていることもあり、なかなか告知ができないまま本番を迎えてしまいました。ただ、それでもたくさんの人が来てくださったんですよ。2022年のゴールデンウィークだったんですが、スペースに入りきらないくらい人が集まりました。それもあって「次はもっと大きいところでやろう」ということになり、そして「せっかくならここでしか飲めないものをつくろう」という発想が生まれました。それでビアフェスでは毎回、参加ブルワリーによるオリジナルのコラボビールもつくるようになったんですよ。
―出店する皆さんで、コラボしてビールを作っているんですね!
普通、出店者同士はイベント当日しか顔を合わせません。でも私たちのビアフェスはコラボビールをつくるために事前に集まるので、すごく仲が良くなるんですよ。それもあって当日の雰囲気がすごく良くて、それがお客様にも伝わっているんじゃないかな。毎回異なる醸造所にみんなで集まって、そこでビールを作るんです。4月の次回ビアフェスに向けては、出店者みんなで静岡にある『West Coast Brewing』に行って準備をします。
―醸造所同士がコラボしてビールをつくるイベント、なかなか無さそうですね。
ほかでは聞いたことがないですね。みんなのスケジュールを合わせるのも大変ですし……。でも出店者にとって、このビアフェスの楽しみはまず「ビールをつくること」なんです。醸造所同士の情報交換ができて刺激にもなるので、今後も続けていきたいと思います。
より下北沢に根付いたビアフェスに
―TDM 1874 下北沢をオープンする前から、加藤さんは下北沢にゆかりがあったのでしょうか?
いや、全然無かったんです。学生時代に友達と1度遊びに来たくらいで、本当にゆかりがなくて。だからオープンするときも「このお店は街に溶け込めるのか」
―下北沢での出会いは一期一会でなく、次に繋がっているんですね。
そうですね。下北沢での出会いは一期一会で終わるのではなく、一つの可能性を無限大に広げていくことができると思っています。「下北沢をクラフトビールタウンにしたい!」と言った時も「下北沢は外から来た人が色々と挑戦しているし、それを受け入れているウェルカムな街だから、やりたいことはどんどんやってみるべきだよ」とおっしゃって下さった方がいました。そのおかげでもっと下北沢のことが好きになりましたし、より多くのことに挑戦していきたいと強く思いました。
―今後、TDM 1874 下北沢としてやりたいことはありますか?
まずは、ビールに限らず「生産者とのつながりができるイベント」を企画したいと思っています。今度の「下北線路祭」では、その先駆けとして日本酒の酒蔵と国産生ハムの生産者を集めてイベントを企画予定です。日本酒と生ハムの組み合わせってあまり聞いたことが無いけど美味しそうだし、面白そうだなと。それから、ビアフェスは今後も長く続くイベントにしていきたいと思っています。今はクラフトビールの10社くらいでやっているんですが、もっと街の飲食店さんが参加できるイベントにしたい。例えば、下北沢の飲食店さんにもフードを出してもらうとか。あと、「ビアフェスマップ」をつくってイベント前後に行ける飲食店さんリストを掲載したりもしたいですね。飲食店だけでなくライブハウスに人を繋げるなど、もっともっと下北沢に絡むことをしていきたいと考えています。