知られざる街の魅力を再発見できる、街を舞台にした謎解きやスタンプラリーイベント。下北沢でもいくつかのコンテンツがあるが、今年の3月から始まった“小説×街歩き体験”をかけあわせた「いつも駅からだった〜下北沢編〜」もその一つ。今回は2022年7月より京王電鉄株式会社が始めたスタートアップ企業など外部企業との共創によるオープンイノベーションの実現を目指す「KEIO OPEN INNOVATION PROGRAM」にも採択された、「休日ハック」の企画者である田中和貴さんに、街歩きと小説を組み合わせた理由や、コンテンツの特徴、下北沢で仕掛けることの魅力などを聞いた。
“街歩き”を楽しく前向きな習慣へ
―まずは田中さんが代表を務める「休日ハック」という会社について教えてください。
実は休日ハックは、ライオン株式会社100%出資の子会社なんです。ライオンは“より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する”を掲げています。ライオンは1891年の創業以来今日にいたるまで、習慣づくりを通じて社会に貢献する活動を一貫して続けてまいりました。私はこのメッセージを体現すべく、 “街へ出て歩くこと”を楽しく習慣化できたらと思い、新規事業開発プロジェクトとして提案しました。
―ライオン社がそのような新規事業を手掛けているとは知りませんでした。
そうですよね、結構びっくりされます(笑)。オーラルケアをはじめとした主幹事業では身体を健康にする商品を扱っていますが、休日ハックは心身共にプラスにできる新しい習慣を提案する事業でありたいと思っています。
―お客さまへは具体的にどんな提案をしているのでしょうか?
3つあって、ひとつは社名にもなっている「休日ハック!」。これは、お客さまに簡単な質問に回答してもらい、予算に応じて休日をプランニングするという事業です。残念ながらこれを立ち上げてすぐにコロナ禍となり、急きょ生まれた2つ目が「おうちハック!」でした。これはお客さまの性格診断や要望をもとにおうちで楽しめる体験キットを選定、提案するというものです。そして3つ目が、「街ハック!」。これは“街全体を体験に変える”をコンセプトに、街歩きが楽しくなるようなコンテンツを提供するものです。
共創パートナーがいるからこそ生まれた「小説×街歩き」のアイデア
―今、下北沢で開催されている「いつも駅からだった〜下北沢編〜」は、その街ハックのコンテンツのひとつ、ということですね。
もともと「街ハック!」は休日ハックでお客さまの休日をプランニングしたことがヒントになっています。休日ハック!はお客さまにここへ行ってくださいと場所をご案内するのですが、“降りたことのない駅や街に行くこと自体が新鮮だった”と感想をもらうことがあったんです。知らない街は意外とたくさんあるし、その街ならではの歴史や伝説、人を知るためのエンターテインメントコンテンツがあったら面白そうという考えを形にしたものが街ハック!でした。
そうして生まれた街ハック!をもっとアップデートさせたくて、共創できるパートナーを探しているタイミングで「KEIO OPEN INNOVATION PROGRAM」の存在を知ったんです。京王電鉄さんがスタートアップ企業をはじめとした外部企業との共創で新たな事業を作る実証実験をするということを聞き、鉄道会社と街歩きコンテンツを作れたら面白いものができるのではと思い、応募したのがきっかけでした。
―今回KEIO OPEN INNOVATION PROGRAMで採択されたものは「小説×街歩き」の体験型コンテンツですが、なぜ街歩きに“小説”を組み合わせたのでしょうか?
京王電鉄さんと一緒に取り組むプロジェクトということで、小説というキーワードが思い浮かびました。電車のドアの横には書籍の広告があったり、電車では少なからず本を読む人がいる。そんな電車と小説の相性の良さがヒントになって、このプロジェクトに参加するなら「小説×街歩き」のコンテンツを作ってみたいなと。あと、これは今回書き下ろしてくだっている岩井先生の言葉の受け売りですが(笑)“小説だからこそ醸し出せる街の雰囲気がある”んですよね。街を歩きながら追体験ができる言葉のチョイスや言い回しは、小説の魅力だと感じたのもきっかけです。
―具体的にはどのようなコンテンツなのでしょうか?
「いつも駅からだった」は、京王沿線を舞台にした短編小説シリーズで、小説家の岩井圭也先生が書き下ろした完全オリジナルストーリーの「小説×街歩き」体験型コンテンツです。京王沿線の駅や街、実在する商店街・店舗などの地域コンテンツを取り上げながら、「友情」や「家族の絆」等をテーマにした物語が描かれており、第一話は「下北沢」を舞台にしました。今回はライブハウスが点在し、ミュージシャンが多い下北沢の特色を活かし、メジャーデビューを果たしたタイミングでとあることがきっかけで失踪してしまうバンドマンにまつわる物語になっています。
大切にしたのは、デジタル+αが生み出す“手触り感”
―街歩きはどのように絡んでいくのでしょう。
小説の一部を電子書籍として無料公開。渋谷の啓文堂書店やミカン下北などで配布される物語の全貌が描かれた短編小説の“冊子”と“キーアイテム”(切り離し型のタブロイド)を手に入れたり、ストーリーに出てくる下北沢のスポットを辿りながら物語の真相や結末を推理する仕掛けになっています。
―冊子やキーアイテムといったリアルなものも用意されたんですね。
デジタルはいまや日常になりすぎているので、それだけだと体験要素は薄いかもしれないと考え、今回はリアルな部分にもこだわりました。あえてリアルなものを組み合わせて“手触り感”を作り、体験要素を膨らませたくて。せっかくコンテンツに触れてくれるなら、普段慣れてしまっているスマホをいじりながらの街歩きとは違う体験をしてもらいたい、という思いをこめています。
―リアルもデジタルも・・・とクリエイティブが多岐に渡ったり、小説を書き下ろしたり、と短期間で多くの工程があったと思いますが、その中で印象的だったことや特に大変だったことはありましたか?
書き下ろし小説の初稿ができたときのことは、今でも鮮明に覚えていますね。一緒に取り組んでいた京王電鉄の庄野さんに初稿をメールで送ったら、ビジネスメールなのにこんなに「!」マークをつけるんだ!という位テンションの高い返信メールをいただいて(笑)。
小説の出来上がりを喜んでくださっているのはもちろん、一読者として楽しみながら読んでくれたのが手に取るようにわかって、感動したのを覚えています。メールの最後には読み手としての意見も書いてくださって。私たちからしたら京王電鉄さんはクライアントで受発注の関係になりますが、納得いくものを一緒に作り上げようと、同じ熱量で同じ方向を向いていることを実感した出来事でしたし、とても良いパートナーと出会えたことをうれしく思いました。
下北沢での実験を経て、京王沿線へ羽ばたくコンテンツ
―実際配布が始まって1カ月半ほど経ちましたが、お客さまの声は届いていますか?
渋谷の啓文堂書店ではすぐに配布予定数が終わってしまったと聞いて、手応えは感じています。ただ、私たちのこだわりが強いあまり複雑に作り込んでしまった部分も多く、そのあたりはもう少しわかりやすさが必要だったなとか、もっと気づいてもらいやすい仕掛けや導線にすればよかったなど、今回の下北沢での実証実験を通して今後に活かしたい点も多く出てきています。でもそういう次の企画への種が見つかったのは、「KEIO OPEN INNOVATION PROGRAM」に参加したからこそ。今回の実験結果を、今後ほかの駅や街を舞台に仕掛けていくタイミングで反映させていこうと、今まさに次の企画に向けて動き出しています。具体的には、次の企画ではもっと“追体験”ができるような仕掛けを入れたくて、例えば小説に出てくるイベントが舞台になる街や場所でも行われていたり、そんなことを考えています。
―今後、「いつも駅からだった」はどのような展開をされるのでしょうか?
可能なら京王沿線69駅分の小説と街歩きコンテンツを作りたいんです。大変そうですけど(笑)。自分に馴染みのある街が舞台になるって、なんだかやっぱり誇りに思うし、より愛着が生まれる。そんな反応をさまざまな駅で生み出して、街が活気づき、その街を歩くことで体験してくれる人たちが楽しんだり、リフレッシュしてくれたらうれしいです。ゆくゆくはインバウンド需要にも対応できたらと思っています。
―最後に、田中さんが歩かれて感じられた、今回の実験の舞台・下北沢の魅力を教えてください。
一言でいうと、カオス×活気を表現している街だと思います。商店街によって特徴が違うなど、同じ街なのに色々な顔を持っているという意味でのカオス。そして若くて元気な人たちが多いという意味での活気。これがかけ合わさった街はなんだかちょっと謎めいていて、下北沢を歩くとゲームを攻略するような楽しさがあります。「いつも駅からだった」が、その街をもっと知るためのきっかけになったらうれしいですね。