2023年春に開催されたサーキットフェス「下北沢デアウ」。近年人気の、ライブハウスや飲食店を複数箇所回って開催される形態の中でも、同イベントの特徴はオールジャンルかつ、“街を横断型”であること。バンドマンだけでなく演劇人、人気芸人も多数参加。12の会場も、町のタウンホールからユニクロ下北店まで多岐にわたった。下北沢を舞台に壮大な実験を仕掛けたのは、「下北沢ろくでもない夜」のブッキングマネージャー・原口雄介さん。伝説的ライブハウス「下北沢屋根裏」の跡地を復活させた立役者でもある彼がこの街で育んだ、「何でもOKにしたい」という想いの源泉に迫った。
“はぐれ者”が集った「屋根裏」の精神を継ぐ
―2015年3月に29年間の歴史にピリオドを打ったライブハウス「下北沢屋根裏」の跡地に同年5月、原口さんは「ろくでもない夜」をオープンされました。ここまでに至る経緯は?
17歳からライブハウスの世界に入って、最初は渋谷で働いていたんです。系列内での人事で2000年代前半、23歳のときに合流したのが「下北沢屋根裏」(以下、屋根裏)でした。元々屋根裏は、RCサクセション、ゆらゆら帝国、THEATER BROOK、神聖かまってちゃん、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどが出演。僕がいた頃も、Base Ball Bear、ASIAN KUNG-FU GENERATION、サンボマスターが演奏していましたね。当時は、“青春パンク”と呼ばれるジャンルが盛り上がっていて、一つの音楽シーンをつくったと思います。そんな屋根裏が閉店するという知らせを聞いて、かつて一緒に働いていた仲間2人と話し合い、この場所で新しくライブ&酒場空間として「下北沢ろくでもない夜」(以下、ろく夜)を始めることにしました。
―“音楽シーンの聖地”を引き継ぐプレッシャーはありましたか?
確かに、かつて下北沢のライブハウスは演奏したいバンドマンでいっぱいでした。彼らは出演するためにお金を払ってオーディション審査を受けるほどだったんです。なんというか、ライブハウスの敷居が高くて、(演奏が)下手な奴はあまり出られない雰囲気がありましたね。屋根裏も、半年後のスケジュールが半分以上は埋まっているような状態だったので、たしかに聖地ではあったと思います。
ただ、「場所は人である」とよく言っているのですが、屋根裏がこの場所で達成したことは、当時のスタッフの存在があったからこそだと思います。働く人や店の名前が変われば、出演してくれるアーティストたちも当然変わってくる。僕たちの店になって、ある意味ゼロからのスタートでしたし、屋根裏をそのまま継承した感覚はないんです。だけど、100人ほど入るライブ空間にバー併設のこのスペースを借りて、インデペンデントで店を始めるというのは、人生を賭けた大きなことでした。僕はちょうど結婚し、子どもが生まれたタイミングだったこともあって、開業と同時に1500万円の借金を背負ったのには、だいぶピリッと来ましたね(笑)。
―現在に至るまで、ブッキングの人選や運営において大事にされていることは何でしょうか?
先ほど、昔はライブハウスの審査が厳しかったという話をしましたけど、屋根裏には、他のライブハウスではじかれた若いアーティストが多く集まっていました。演奏は下手なんだけど、めちゃくちゃ熱量があって、とにかくお客さんを呼んでくるような。僕自身も、音楽のレベルはともかく、やる気があってちょっと生意気な奴は気に入っちゃうところがあるんです。だからろく夜では「何でもOKにしたい」という想いが一層強くて、そこを大事にしていますね。他のライブハウスはもう少し絞っていると思いますが、ここは、何かをやりたい人がいれば、ジャンルを問わず、「何でもやっていいよ」と言える場所でありたい。実際にろく夜では、ビジュアル系からアイドルのライブ、お笑いや芝居、本当に何でもやるんです。
運営については、開店初期は朝までバー営業したり、がむしゃらにやってきましたね。オーナーとしてこの街に関わるようになってから、屋根裏で働いていた頃の自分たちを知っている方々はもちろん、直接知らない方まで、色んな人に応援してもらっている感覚があります。たとえば、店名の命名は、キングコングの西野亮廣さんによるもの。以前、ろく夜と同名のトークライブを西野さんと開催したことがあって、「あのイベントの名前良かったな」と思い相談したところ快くOKしてくれて、さらにロゴまでデザインしてくれたです。そのとき、クラウドファンディングの考え方も教えてもらって、開業時の資金の一部やコロナ禍でピンチのときに活用させてもらいました。
「下北沢だから」実現できたサーキットフェス
―渋谷から下北沢に来られて20年以上。この街や、この場所で出会う人たちに感じられていることはありますか?
最初にこの街に来たとき、下北沢と渋谷は急行で1駅ですけど、空気感が全然違うと感じました。付き合ってた彼女が美容師をやっていて、当時は練習台でドレッドヘアーでしたが、その頃の下北沢には意外とそんな髪型している人はいなくって。でも、ちょっと見かけが異端な自分に対しても、あったかく迎えてもらった印象がありますね。今では、ちょっと街を歩けば誰かしら知り合いと出くわすから、そのまま一緒に行きつけへ飲みに行ったりなんてこともあります。人と人、人と店との距離感が近いのも、街の特徴かもしれませんね。
―以前、『東京都実験区下北沢』で取材させていただいたエリィさん(演劇プロデュース団体・エリィジャパン総監督)は、悩んでいたときに背中を押してくれた原口さんを“恩人”と慕っていたのが印象的でした。
一人でやさぐれた感じで飲みに来てたから、僕はただ話しかけただけです。「やさぐれてるね〜」って。劇団を始めたいけど、金銭面で悩んでいるみたいだったから「ハコ代は売れてからでいいから、やりたいことをやりなよ」とたしか言ったのかな。クラウドファンディングもそうだけど、今の時代って、お金の面でやりたいことができないというのは、ある意味言い訳になるとも思ったから。エリィに話したことがたまたま響いて、ろく夜での演劇イベントの開催や、「エリィジャパン」の立ち上げにつながったのは良かったです。ろく夜も、色々な人との出会いに支えられてきましたから。
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―原口さんたちの下北沢をめぐるジャンルの垣根を超えた“出会い”をイベントとして再現されたのが、2023年4月に開催されたサーキットフェス「下北沢デアウ」だったのでは?
そうですね。ライブハウスの世界だけでなく、下北沢全体でも“出会い”が盛り上がれば、みんなが楽しいんじゃないかと思ったのが企画のきっかけです。ライブハウスや飲食店を複数箇所使って開催されるサーキットイベントはたくさんありますけど、わりと若者がやってることが多いんですよね。今回は僕のように決して若くはないメンバーで、どこまでサーキットをできるか? それも一種の挑戦でした。
「こんなことをやりたいんだけど」と、下北沢のライブハウスやメンバーが親しくしている飲食店に声をかけたら、どこもすごく優しく「全然、いいですよ」ってふたつ返事で協力してくれました。蓋を開けたら、音楽、お笑い、演劇などジャンルも盛りだくさんで、100組以上のアーティストが出演してくれて。会場もライブハウスだけでなく、北沢タウンホールやお笑いの劇場、ユニクロ下北沢店まで借りて全12拠点で行い、数千人を動員しました。ある意味ノリで、何にもないところから始めたから、段取りが悪いところもあって、運営はとんでもなく大変でした。演者からも来場者からも「またやってよ」という声をもらいましたが、すぐに第2弾をやるとは今はとても言えないですね(笑)。だけど、スポンサーや協賛がつくのであれば、下北沢でのフェスイベントにまたトライしたい気持ちはあります。
―ユニクロのような大手アパレル企業が、インデペンデントなイベントに場所を提供したのは少し意外でした。
ユニクロ下北沢店では下北沢デアウの前も、「エアリズム」をテーマに劇団がパフォーマンスをするイベント(編集部注:「下北沢演劇ライブ」。エリィさんはMCを担当した他、エリィジャパンも劇団として参加)が開催されています。もしかしたら「下北沢だから」というのも、こういうコラボレーションができる理由として大きいんじゃないかな。音楽や演劇など、さまざまなカルチャーが根付いていて、自由な雰囲気がある下北沢だからこそ、というか。下北沢は古着屋さんも多いし、ユニクロ下北沢店は、他の街よりも個性を打ち出すスタンスもあるのかもしれない。今回「何でもOK」なイベントにしたことで、音楽を聴きにきた人が、演劇の小屋に初めて行ったとか、あのお笑い芸人を見たとかっていう反応をもらえましたけど、やっぱり下北沢だからこそできたことだと思います。この街は、店同士の距離感も近いので、会場の周遊もしやすかったんじゃないかな。
「下北沢らしい」ゴミ拾いという思考実験
―今後、ろく夜として、原口さん個人として、今後この街で仕掛けていきたい実験や挑戦はありますか?
下北沢で無料フェス、やりませんか? 駅前のステージで、誰でも垣根なくただでライブが観られるような。下北沢のカルチャーには外から人を連れて来る引力があると思うし、結果的に来場者が下北沢の色んなお店でお金をつかってくれて、街の中で経済が循環していけばいいなと思います。あと一つ関心があるのが、街中のゴミなんですよね。駅前の通りがすごくきれいになったから、ゴミが気になっちゃって。下北沢は自由な街だけど、ゴミは似合わないんじゃないかなと思う。だから、ハロウィンの前日とかにときどき、仲間うちでゴミ拾いのイベントをやったりするんです。そういうとき、もっと下北沢らしい、楽しいやり方でやれないかなって思うんです。
一方で、騒音の問題で路上ライブもやりにくい世の中になってきているのも感じていて。だから、ゴミ拾いしている間は音楽を鳴らしてもいいみたいな方向性に持っていけないかと。月に1度の30分とか、アーティストにとってのたまのご褒美でいいから。行政も関わる壮大な話だけど「下北沢だから“アリ”」な街実験になれば面白いし、パフォーマンスができるならゴミ拾いをやりたいって人も、この街にはたくさんいると思うから、彼らも巻き込めるといいですよね。
―原口さんとお話していると、表現者に対する「何でもOKにしたい」という寛容さを感じます。
寛容さっていうか、できるだけ「ダメって言いたくない」って気持ちがあります。ライブハウスもそうですけど、アーティストの自由を尊重してきたからこそ、いい文化が育ってきたと思うから。もちろん、それぞれの表現に対しては好き嫌いはあるだろうけど、表現すること自体にダメって言いたくないんですよね。 そういう場所でずっとやってきた自分としては、自然と「どうやってOKにするか」っていう考え方になりますし、下北沢という街も、そういうおおらかさがあるような気がします。ただし、ルールは守ってね。下北沢には、怖いけど粋でかっこいい先輩たちが、後輩をちゃんと見守っていますから(笑)。