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SHELTERが35周年イベント「ONE EPIC MONTH」を開催。6代目店長・義村智秋が語る“実験精神”と“変わらないもの”

「ライブハウスの街」。下北沢がそう呼ばれる大きな理由のひとつに、SHELTERの存在がある。1991年にオープンし、エレファントカシマシや怒髪天をはじめ、数々のバンドが飛躍し、誰もが知る大舞台へと駆け上がる、その前夜を彩ってきたライブハウスだ。

そんなSHELTERが35周年を記念して開催するのが、10月中に35回のワンマンライブを行うイベント「ONE EPIC MONTH」だ。新進気鋭から“武道館級”まで様々なバンドが名を連ね、多種多様な観客が集まる。その光景はきっと、アーティストとリスナー双方の信頼を長年築いてきたこの場所だからこそ見られる、特別なものだ。

SHELTER はなぜここまで受け継がれてきたのか。そして下北沢という街のこれまでと、これからとは。6代目店長を務める義村智秋氏に話を伺った。

下北沢とともに進化してきたライブハウス・SHELTER

──35周年おめでとうございます。まずはSHELTERができるまでの経緯を教えてください。

新宿LOFTの移転先でいろいろと難航する中で、逃げ場としてSHELTERを作ったと何となく聞いてます(笑)。

──35年を経て、SHELTERに出演するバンドにはどのような変化がありましたか?

元々はパンクロックやオルタナティヴ・ロックの印象が強かったですが、2000年代後半にはバンドブームの影響を受けて多様化し、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのようなギターロックバンドも出演するようになりました。僕の前任である上江洲さんが在任していた2010年代の前半も転機ですね。アイドルグループ・BiSが出演したことをきっかけに、アイドルのブッキングにも力を入れるようになりました。

「自分ができることは何か」。義村さんとSHELTERの関わり

──義村さんがSHELTERで働くことになった経緯を教えてください。

学生時代にバンド活動をしていた流れで、地元の横浜にあるF.A.D YOKOHAMAというライブハウスで働くことになったんです。4年間ほど勤めてブッキングを担当したのですが、辞めることが決まってから、良く自分のイベントにも出演してくれていたa flood of circleの当時のマネージャーの方にお誘いいただいて、もう音楽の仕事は辞めるつもりだったんですが、SHELTERだったらやってみたいと思ってお世話になることになりました。

──SHELTERの店長として働く中でプレッシャーは感じましたか?

常に「自分なんかがおこがましい」と思っていました。SHELTERがバンドシーンに与えた影響は相当なものだったので。自分ができることは何かをずっと探っていましたね。

──義村さんが印象に残ったライブはありますか?

先ほどお話したa flood of circleが武道館ライブを成功させた翌日、SHELTERに出演してくれたのは印象的でしたし、嬉しかったですね。SHELTERという場所の特別さを感じましたね。

あとはコロナ禍にうちで初ライブをしたバンドのサバシスターです。当時は3密を回避するため、毎日行っていたイベントがほとんどできない時期で。そんな中でドラムのごうけと出会って、「ガールズバンド組んだので出させて欲しい」と直談判してきました。

コロナ禍で空き日を埋めるためにネタが欲しかったので、試しにやってもらったんです。ある意味で“実験”と言えますかね。それから彼女たちはあっという間にフェスの出演が決まったり、「ジャージ」という曲がバズったりと、人気バンドの道を歩んで。その過程を間近で見られたのは、この仕事の冥利に尽きますね。

35連続ワンマンライブ。熱狂を生む“実験”の裏側

──10月1日から35周年を記念したイベント「ONE EPIC MONTH」が開催されています。35組のバンドが35公演連続ワンマンライブを行うというユニークな企画はどのような経緯で始まったのでしょうか?

その前段となる30周年イベントを2021年の10月に行っていたんです。1ヶ月を30年に見立てて、10月1日を1991年、2日を1992年に見立てて……といった具合で10月30日まで座組を作るイメージですね。当時はコロナ禍だったので、最大で80人しか観客を動員できなかったのが心残りで。そのリベンジとして企画したのが今回の「ONE EPIC MONTH」でした。

──バラエティに富んだ顔ぶれはどのようにして決まりましたか?

僕と副店長と制作の子の3人がワンマンを見てみたい、ワンマンをまたやってほしいアーティストをひたすらブッキングしましたね。

──初日にはエレファントカシマシが登場するなど、豪華な顔ぶれも目を引きます。

デビュー30周年の2017年にライブに出てもらったり、以前発行していたRooftopというフリーペーパーの表紙を飾ってもらったりと、縁のあるバンドで。今回、運よく初日にオファーさせてもらえました。ライブでは11曲披露してくれたのですが、10分ぐらいに感じるほど濃密な時間でしたね。

──ミカン下北のフリーウォールにはSHELTERの35周年を記念したウォールアートが描かれています。

告知のために使えないかミカン下北さんに掛け合ったところ、快諾してもらえて。デザインの監修は縁のあるバンド・でぶコーネリアスEXのCHIAKIが担当してくれています。ブッキングと並行してテープ貼りなどの準備作業をするのがとにかく大変で……(笑)。完成したときは達成感が大きかったです。訪れた人に「ウォールアート、すごいね」と声をかけてもらえることもあり、下北沢という街における宣伝効果の大きさも感じていますね。

「才能はみんなで伸ばしていく」。バンドが育つ街・下北沢

──下北沢のライブハウス同士の繋がりはあるのでしょうか?

たとえばSHELTERにデモテープを送っていたバンドに「こっちの箱の方が合うかもしれない」と他のライブハウスを紹介することは多いですし、逆に知り合いから教えてもらうこともあります。いわゆる“囲い込み”はせず、街全体でバンドを育てようとしているところが下北沢らしさだと思いますね。

──近年ではライブハウスや古着屋、飲食店などを巻き込んだ大きなイベントが多く開催されていますね。

商店街との関わりが深い近松のツネ・モリサワ君(※)と知り合ってからは「下北沢にて」はもちろん、最近だと世田谷区が主催する「下北沢音楽祭」にも関わるようになりましたね。

また、去年から始めた” Swim in the Beer Fest”はクラフトビールと音楽を繋げた祭典で、これまでに接点がなかった方々も足を運んでくれるので、新鮮な気持ちで臨むことができました。

 

※株式会社近松代表。ライブハウス「下北沢近松」やライブハウス・アコースティックBAR「近道/おてまえ」、ギャラリー&バー「近近」、空き地カフェ&バーなどの店舗事業、音楽レーベル「THE BONSAI RECORDS」やライブイベント『下北沢にて』の実行委員長。THEラブ人間のキーボードとしても活動する。

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これからの下北沢、これからのSHELTER

──下北沢を長年見てきて、変化を感じることはありますか?

小田急線が地下化したり、駅前に大きなロータリーができたり、空き地やミカン下北のような商業施設ができたりと、街の変化は実感しています。客層もSHELTERがアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の聖地になったことで、大きく変わりましたね。当日券がよく売れたり、ライブ以外の時間に写真を撮りにくる人がいたりと、これまでに馴染みがなかった人も訪れるようになりました。

──目まぐるしく変わる下北沢という街で、義村さんが変わってほしくないと思うことはありますか?

「面白いことをやりたい」という空気感ですね。その部分は街がどれだけ開発されても変わらないでいてほしいですし、変わることはないと思います。

──「ONE EPIC MONTH」のように、これから義村さんがSHELTERでやってみたい“実験”はありますか?

日々のブッキングの中でトライを続けていくことですね。最近は音楽業界で人気が出るきっかけが多様化したことで、ライブハウスでの演奏に憧れるミュージシャンが減っていて。そんな現実に対して、正直なところ「時代の流れ」と諦めていた気持ちもありました。ただ、最近は新しいジャンルのアーティストをブッキングしたり、今イケてるバンドに声をかけたりと、SHELTERの幅をより広げる企画に挑戦してみたくなっていて。35周年のイベントで日々奔走する中で、そう思うことができるようになりました。

Information

取材・文:山梨 幸輝  撮影:YUKI KAWASHIMA
下北沢SHELTER
下北沢SHELTER
住所: 東京都世田谷区北沢2-6-10 仙田ビルB1F
アクセス: 小田急線・京王井の頭線「下北沢駅」より徒歩約3分

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